高森明勅

6月19日3 分

家族でも身分が違う近代以降前代未聞の家庭を生み出すのか?

国内において、皇室の方々と国民という、身分の違いがある。これは、憲法が世襲の象徴天皇という制度を要請したことの、必然的な帰結だ。

近代以降、家族は同じ身分であることを原則とする。その為に、皇族と国民との婚姻において、身分が変更される。前近代では内親王女王が皇族以外の男性と婚姻しても皇族のままであり、皇族以外の女性が皇族と婚姻しても皇族になることはなかった。

それが大きく転換したことになる。

但し、明治当時の男尊女卑の風潮を背景にした制度なので、婚姻後は男性の身分に同一化されるルールで、それを令和の今もそのまま維持している。

時たま、歴史上、皇族でない男性が婚姻などによって皇族になった前例は無かった、などと力説強調する言説を見かけるのは、些か滑稽だ。それは男性だけでなく、女性も全く同じだったからだ。

調子に乗って、一般男性を排除して皇室に入れない“男性差別”の原理があった、という白昼夢に囚われていたり。男系限定が女性差別と批判されるのが嫌でこんな妄想を膨らませているのだろうが、女性差別が駄目なら男性差別も当然ダメだと気が付かないのは、不思議だ(勿論、事実はその逆なのだが)。

ところが、政府が提案する“目先だけ”の皇族数確保策では、内親王·女王が婚姻後も皇族の身分に

とどまられる一方、その配偶者やお子様は国民と位置付けられる制度になっている。

もしもそれが実現したら、夫婦も親子も身分が異なるという、近代以降、全く前代未聞の家庭が現れることになる。

皇族でいらっしゃる内親王·女王は当然、憲法第1章(天皇)が優先的に適用される。その配偶者、お子様には同第3章(国民の権利及び義務)が全面的に適用される。しかし社会通念上、夫婦·親子は一体と見られがちだ。しかも、内親王·女王も制度上、天皇の国事行為の委任を受けられたり、その全面的な代行に当たる摂政に就任される可能性がある。

その現実を踏まえると、およそ無理で無茶な制度設計と言う他ない。

このプランを提案した有識者会議報告書では、前近代の事例を持ち出して正当化しようとする辺り、時代錯誤も甚だしい。

先に述べたように、前近代と近代以降では、そこに家族の在り方を巡る大転換(!)があり、同列に扱うことができない。その事実を知らないのだろうか。

もしも知らないなら、無知の程度がヒド過ぎる。そうではなく、知っていながら敢えて誤魔化そうとしているなら、不誠実だ。

いずれにしても、内閣に設けられた諮問機関とは思えない、呆れたレベルの低さと言う他ない。

先頃、配偶者が国民のままなら気楽なので、婚姻のハードルが低くなって望ましい、という言い方をしている人がいて驚いた。   

もしも本気でそう思っているなら、男性皇族の婚姻相手も国民のまま、という制度に“改善”(?)すれば良いのではないか。しかし、端からそんな変更など考えていないのが、丸わかりだ。

近代以降、類例もなく、夫婦·家族としての一体感を持ちにくい、不自然な家庭を望む国民男性が

果たして、どれだけいるのか。又、当事者でいらっしゃる内親王·女王殿下方のお気持ちに僅かでも配慮しているとは、考えられない。

追記

○「女性自身」6月11日号(5月28日発売)及び7月2日号(6月18日発売)に、それぞれコメントが掲載された。

○私の大学の授業の一環として毎年、靖国神社の正式参拝と遊就館の拝観を続けて来た。今年は6月18日に実施。例年、卒業生が何人も参加してくれるのが嬉しい。神社関係者のご配慮にも感謝あるのみ。

しかし、この行事も残すところあと2回だけになりそうだ。

私自身の大学の定年が再来年に迫っている為。

○今月のプレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」は、皇位継承問題の解決を拗らせている最大の阻害要因について解説する。6月28日公開予定。

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