以前、「三笠宮問題」という出来事があった。
今の「建国記念の日」(2月11日)がまだ平日だった頃の話だ。
この日は元々、明治以来、「紀元節(きげんせつ)」と呼ばれる祝日だった。
ところが敗戦後の占領下に、GHQの強権によって、当時の民意に反して平日にさせられた。
当然、独立回復後には、この日を祝日として復活するよう求める国民の声が高まった。
それに対し、左翼が反対したばかりでなく、あろうことか、当時の昭和天皇の弟宮の
故・三笠宮崇仁親王が明確に反対のご意志を繰り返し表明されるという、異常な出来事が起こった。
これに対し、良識的な学者や知識人などがやむなく批判の言論を展開するという、まことに残念な事態になってしまった。
里見岸雄博士の『天皇及(および)三笠宮問題』(昭和35年、錦正社)などは、その最も代表的な例だろう。
博士は、その激烈な「諫告(かんこく)」の一文を、以下のように締め括っておられた。
「私は、日本国民の1人として、殊(こと)に、心から天皇を仰慕(ぎょうぼ)奉戴(ほうたい)する者の1人として、又、40余年一貫聊(いささ)か国体の学的研究に従事しきたつた1人として、かりそめにも皇弟におはし、親王であられる三笠宮殿下に対し、本篇の如(ごと)き非常の言を敢(あえ)て発し、再三再四に亘(わた)る非礼の言をも強い(しい)て書かなければならなかつた国運の非を悲しむと共に、殿下に対しては文中の非礼強言をつつしんでお詫び申し上げる」と。
比較的近い歴史上に、このような出来事もあった。 そうした事実も一応、知っておいた方が良いだろう。