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執筆者の写真高森明勅

古代日本は双系制社会

更新日:2021年5月18日


歴史学の分野では、古代日本がその基層において「双系」制社会だった、との認識がほぼ共有されていると言えよう。例えば、新しい研究成果から。「皇位の継承において女性や母系が重視されたのは、古代日本が双系制社会、すなわち、父系(男系)と母系(女系)の双方の出自が同等の重みをもつ社会であったからだ。


日本で良男・良女間の子を父親の氏族に属させるよう定められたのは、記録上は大化元年(645)のこととされており、実際には、7世紀後半の天智天皇(38代)の治世にこうした政策が行われ、8世紀にかけて、父系制社会に緩やかに移行したと考えられている。


この点に関連して注目されているのは、大宝元年(701)に施行された大宝令で、女性天皇の皇子女も、男性天皇と同様に、親王・内親王とするとされていたことである。


このことは、女性天皇の皇子女も皇位継承権を有する存在であったことを意味する。中国の律令を反映して、日本の律令では男系主義を採っているが、その中に残された双系制社会の名残(なごり)が、この女性天皇の皇子女に関する規定であった」(佐伯智広氏『皇位継承の中世史』平成31年4月、吉川弘文館)


―文中、「記録上は大化元年(645)のこととされており」とあるのは、同年8月の「男女の法」を指す。同法については改めて。

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