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執筆者の写真高森明勅

君臣の分義

更新日:2021年3月29日


葦津珍彦

君臣の分義


戦後神道界で最大の思想家、葦津珍彦氏。 「男系」主義を強調する一方、冷静かつ公平に以下のように述べておられた。 「わが皇統が、庶出(しょしゅつ=非嫡出)の皇子又は皇兄弟等によつて継承されて来た事実は、決して無視さるべきではない。その数は殆んど半数に近い程の比率に達してゐるのである。…女系継承を認めず、しかも庶子継承を認めないと云ふ継承法は無理をまぬかれぬ」 「占領下に皇族の籍を離れられた元皇族の復籍ということが一応問題として考へられるであらう。…(しかし)その事情の如何(いかん)に拘(かかわ)らず、一たび皇族の地位を去られし限り、これが皇族への復籍を認めないのは、わが皇室の古くからの法である。 明治四十年の皇室典範増補“第6条皇族の臣籍に入りたる者は、皇族に復するを得ず”とあるは、単なる明治四十年当時の考慮によりて立法せられたものではなく、古来の皇室の不文法を成文化されたものである。この法に異例がない訳ではないが、賜姓の後に皇族に復せられた事例は極めて少い…この不文の法は君臣(くんしん)の分義(ぶんぎ)を厳かに守るために、極めて重要な意義を有するものであつて、元皇族の復籍と云ふことは決して望むべきではないと考へられる」(『天皇・神道・憲法』昭和29年) 真剣に皇室の「尊厳」護持を考える立場からの発言だ。

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