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執筆者の写真高森明勅

「神武天皇のY染色体」という妄想

更新日:2021年5月18日


皇統問題を巡って、時に奇妙な“雑音”も混ざる。それらにまで一々丁寧にかまってはいられない。そうした雑音の1つが「神武天皇のY染色体」論。


その染色体を受け継ぐ事こそが皇位継承の正統性の証(あかし)だ、と。安倍首相のブレーンと称する八木秀次氏あたりが発信源で、ご本人は「合理的」な説明と得意げだった。

かなり前に、あるノンポリ編集者が「素朴な疑問なんですが、皇統を染色体で語っても不敬に当たらないんですか?」と尋ねたのを思い出す。


彼はまさに健全な庶民の感覚を身に付けていたのだ。「勿論、不敬ですよ」と私は答えた。それで終わる話。


なのに、ネット上では一頃、随分と流行ったらしい。恐らく、「何故、今後も男系限定を維持しなければならないのか」他に説明のしようが無かったせいだろう。ところが、これまで126代の天皇のうち、言うまでもなく10代は女性。だから、「神武天皇のY染色体」なるものは、受け継いでおられない。



もしそれが本当に皇位継承を正当化する根拠なら、歴史上、10代の女性天皇がおられた事実を、どう説明するのか。一方、「どんなに直系から血が遠くなっても男系の男子には必ず継承されている」(八木氏)なら、平将門や足利尊氏等々も皆、「神武天皇のY染色体」を受け継いでいる。


であれば、将門も尊氏等々も(更にその子孫の多数の国民男性も)、それぞれ皇位継承資格を十分に持つはずだ。もう無茶苦茶。


本人の意図はともあれ、論理必然的に、推古天皇をはじめとする過去の女性天皇のご即位を否定し、代わりに臣下(しんか)による皇位の簒奪(さんだつ=奪い取ること)を正当化する結論に行き着く。


だから、この論を振り回している人物は、もし皇室の尊厳を決定的に傷付けたいのでなければ、論理的思考力の徹底的な欠如を自ら暴露している事になる。しかも、「染色体」という自然科学的概念なら当然、(神話には繋がらないので)神武天皇で“行き止まり”になる客観的根拠はどこにも無い。当たり前ながら、それより更に前に、染色体の連鎖が続く限り、どこまでも遡らねばならない。


それがどこに辿り着くにせよ、縁もゆかりも無い正体不明の「初代の男性」(八木氏)のY染色体が何故、わが国の神聖なる皇位継承を正当化し得るのか。そんな事は無論、全くあり得ない。


前にも紹介した、「皇統」の概念規定を巡る、「生物学的事実による」のではなく、「一定の名分(めいぶん=身分・立場などに応じて守るべき道義的な分限〔ぶんげん〕)によって限界づけられていなければならぬ」という、里見岸雄博士の指摘(『天皇法の研究』)をもう一度思い起こす必要がある。


…という「国体論」的な批判“以前”に、「理系」的にもとっくに否定されていたようだ。私も先頃、ある医師から「最近の研究では、Y染色体というのは世代を経ると、どんどん崩れちゃうんですよ」という話を聴いていた。その「最近の研究」の出典が気になっていたものの、改めて自力で探し出してはいなかった。


どうやら、国立成育医療研究センターが平成27年にプレスリリースした「日本人男性のY染色体構造変化と精子形成障害の関連を解明(無精子症・乏精子症による男性不妊の診療に役立つ可能性)」(又はその根拠になった「Jaurnal of Human Genetics」掲載論文)らしい。


作家の泉美木蘭氏のブログで初めて知った(6月15日13時55分アップロード「Y染色体はそのまま遺伝しないみたいだよ」)。やはり「泉美探偵事務所」は侮れない。


同リリースによると、Y染色体は意外と“変化”が激しいようだ。「ヒトのY染色体には、欠失(染色体の一部が欠けること)や重複(染色体の一部が増えること)などの構造変化が生じやすい部分があることが知られています。


今回、私たちは新たな方法で遺伝子解析を行い、Y染色体の構造変化が従来想定されているよりも多様かつ高頻度であることを明らかとしました」と。


神武天皇以来、そのまま殆ど同じものを純粋に受け継いで来た故に、「『天皇の御印(みしるし)』として意味がある」(八木氏)というのは、自然科学的にもとんだ妄想だった訳だ。

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