百歳の元軍人の証言
12月15日、靖国神社崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」勉強会。同勉強会は毎回、靖国神社に祀られる英霊達と同じ戦場、同じ戦争を実際に体験された“戦友”の方々をお招きし、ご自身のご体験や当時のお気持ちを伺っている。私も、奉賛会及び同青年部の顧問を拝命しているので、欠かさずに参加している。
この日の講師は、元海軍大尉(だいい)だった小柳正一(こやなぎしょういち)氏。大正8年のお生まれ。お歳は百歳。これまで勉強会にお招きした皆さんの中でも最高齢か。幼かった頃の関東大震災(大正12年)の記憶を語られた時は、会場の雰囲気が変わった。
軍人としてエリートコースの海軍兵学校に進まれ(68期)、やがて飛行学生(36期)に。大東亜戦争の開戦は新聞で知られたとか。ミッドウェーの大敗を聞いた時、「これはちょっとマズいぞ」と思いながらも「でも、戦争だからしょうがないな」という吹っ切れた気持ちだったようだ。この日のお話の中に繰り返し出て来たのが、この「戦争だから…」という言葉だった。山本五十六(いそろく)連合艦隊長官が、その搭乗機がブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜されて戦死した時も、同じような感想だったらしい。
「戦地だから、あまりビックリもしませんでした」と。その撃墜された山本長官機の墜落場所を確認する任務を与えられたのが、当時、現地におられた小柳氏だった。勉強会では、発見の様子を記した同氏の貴重なメモ(「参考事項摘録」)の映像が大きく映し出された。墜落して大破した機体も、上空から見た通りに描かれていた。但し司会者が、鉛筆書きのメモにある「出頭」を「出撃」、「地点」を「地上」と間違って読んでいたのは、少し気になった。
小柳氏のお話は1時間半余り。司会者の質問に答える形で淀みなく進行した。途中、何度も笑顔を見せられ、声を出して笑われた。非常に謙虚で、ご苦労を想像させる場面でも「普通でした」と答えて、逆に司会者を困らせておられた。しかし、そのお人柄は会場の若者達にしっかり伝わったはずだ。最後に「どうか次の時代も平和を守り続けて欲しい」とのメッセージを静かに託された。
「今の日本というのは、国が平和で栄えてほしいという希望はもっているけれども、『国をまもる』という意識がないかもしれません。それで済めばもうけものですが、実際は何があるか分かりません。でも、日本人ならば必ず国防意識を取り戻すはずだと信じています」―。
百歳の元軍人のかけがえのない証言を拝聴する場に、私も居合わせる事が出来た。本当に有難かった。小柳氏はもとより、この勉強会の実施をする為に尽力した若い諸君に感謝したい。小柳氏のご健康とご長命を祈る。