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執筆者の写真高森明勅

皇室典範とサリカ法典


皇室典範とサリカ法典

皇室典範とサリカ法典

古代日本の基本法だった大宝律令・養老律令には、唐の律令には無かった「女帝」の規定がわざわざ追加されていた(「継嗣令」皇兄弟子条)。歴史上の事実としても、よく知られているように10代8方の「女帝(女性天皇)」が実在した(シナの場合は則天武后がただ1人の例外的な女帝だった)。


我が国に女性天皇を頑なに排除するという伝統は、(シナとは異なり)元々存在しなかった。にも拘らず、明治の皇室典範で“初めて”皇位継承の資格を「男系男子」に限定する。これは何故か。


その背景の1つに、やや意外に感じられるかも知れないが、当時の“ヨーロッパ文明の摂取”という時代潮流があったと考えられる。その頃には、ヨーロッパのフランク時代のゲルマン部族法『サリカ法典』に由来する、王位継承資格を「男系男子」に限定する方式を採用していた国々があった(スウェーデン、ベルギー、イタリア、プロイセン等)。明治の皇室典範の起草に関わった柳原前光の草案の欄外に、「男系男子」限定の根拠として、そうした国々の国名が記されていた。ヨーロッパ各国からの影響は明らかだ。


勿論、現代のヨーロッパでは継承資格を「男系男子」に限定している君主国は無い(唯一の例外は人口が僅か3万人程のリヒテンシュタイン公国)。今も「男子」優先を維持しているイギリスやデンマークでも、女王が即位されているのは周知の通り。


明治日本が手本にしたヨーロッパ各国は、時代の進展に対応してすっかり様変わりした。しかし我が国では、“側室不在=非嫡出継承の否認”へと前提条件が激変しても、「男系男子」限定が現在の皇室典範にもそのまま残っている。旧時代のヨーロッパのやり方にいつまでも拘泥していないで、自国の伝統を振り返るべき時期ではないか。


少なくとも、皇室の存続を犠牲にして迄、ゲルマン部族法のサリカ法典に忠誠を尽くす理由は、どこにも無いはずだ。

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