緊急事態と議会承認
国家の運営において必ず配慮しなければならない大切なことがある。それは何か。平時とは異なる「非常事態」に直面した時の対処の仕方について、確固とした法的ルールを“予め”定めておくことだ。
いかなる国も、非常事態を百パーセント回避することは不可能だし、非常事態では、政府によって、強力かつ効率的な施策が、速やかに実施される必要がある。
その場合、事態の深刻さに応じて、政府に権力を集中し、国民の権利や自由をやむなく制限することになる。勿論、そのようなことは、平時ならとても認められない。国民の権利や自由を最大限に尊重するべき、近代国家の基本原則そのものが、根底から覆されかねないからだ。
だから予め、そうした事態にも、国民自身の意思によって定められたルールに則って、適切に対処できる用意が欠かせない。そのルールでは、権力集中や権利制限の在り方が果たして妥当かどうか、民意を背景とした議会の「承認」を条件とするのが当たり前だ。
切迫した場面では、事後承認でもよい。
たとえ事後でも、必ず議会で審議の対象となり、否決の可能性もあるという事実自体が、恣意的な権力集中や権利制限への一定の“制約”になり得る。又、議会の承認を得ることで、政府の緊急・非常の措置に対する民主的な「正当性」も、初めて担保される。
ところが、この度の新型コロナウィルス対策の特措法(改正新型インフルエンザ等対策特措法)では、国会の関与がゼロ(改正前の重大な欠陥をそのまま踏襲)。附帯決議でも、国会への「報告」にとどまる。
国民の権利と自由に対し、又、民主的な手続きについて、余りにも思慮を欠くと言わざるを得ない。このような法律が、その時々の国会の駆け引きによって、容易(たやす)く成立可能になってしまうのは、実に危うい。
こうした危険を孕んでいるのは、憲法そのものに非常事態条項を欠いていることも背景にある。今回、政府が恣意的に権利を制限することを可能にしかねない改正特措法が成立したことで、立憲主義の観点からは、非常事態条項を持たない憲法の脆弱性が、改めて浮き彫りになったと言えるだろう。