教科書における「聖徳太子」
文部科学省は学習指導要領の改訂に当たり、「聖徳太子」の名前を削ろうとしていた(平成29年)。この時の改訂には、その他にもおかしな内容が多かった。それに対して、「新しい歴史教科書をつくる会」をはじめとする国民有志が批判の声を挙げ、ことごとく押し戻した経緯があった。
当時は私も、国会議員の皆さんに学説状況や関連史料を紹介する機会を与えられた。今回の文科省の奇妙な検定結果には、その時の“意趣返し”のような側面も感じられる。私は発売中の『正論』4月号に、「聖徳太子は『架空の人物』か」と題するささやかな一文を寄せた。詳しくは、直接、同文をお読み戴きたいが、文中から2ヵ所だけ引用しておく。
「遣隋使の歴史的な意義は、5世紀以前、わが国がシナ王朝との間に国際的な臣属関係(冊封関係)を維持していたのに、ピリオドを打った点にある。シナ『皇帝』の下位に置かれた『王』の称号を止めて、『天皇』に改めたのは、朝貢の形式は守るが、政治的に臣従はしない“不臣(ふしん)の朝貢国”として、朝鮮半島とは異なる歩みを自覚的に始めたことを意味する。
遣隋使が持参した『日出(いず)る処(ところ)の天子』の国書(607年)の執筆に太子が関わった可能性が指摘されている。ならば、翌年の国書にある『東の天皇』も太子が書いたのかも知れない。これが『天皇』号の確かな初出と考えられるから(拙著『謎とき「日本」誕生』ほか)、『天皇』は太子ご自身のお考えによる君主号である可能性も否定できない」
「『聖徳』というのは、太子が聖人のように高い徳を身につけておられた事実を称(たた)えた、ほとんど最上級の諡号(しごう=おくり名)だ。それは国内で確認できる最古の漢風(かんぷう=シナ式)諡号でもある。これらの事実からも太子の偉大さは歴然としている。歴史教科書に取り上げられる場合も、それにふさわしい記述が望まれる」