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執筆者の写真高森明勅

明治天皇の玄孫?

更新日:2021年5月14日


多くの人々もそれを不審に思わず、聞き流している。しかし、いわゆる旧宮家は全て伏見宮系。


だから、遥かに遠く北朝第3代・崇光(すこう)天皇の第1皇子・栄仁(よしひと)親王の血筋を引くものの、「男系」では明治天皇と何の関わりもない。


ところが、明治天皇の第6皇女・昌子内親王の嫁ぎ先として、北白川宮能久(よしひさ)親王の第1王子・恒久(つねひさ)王(非嫡出、母は申橋幸子)が皇籍に留まり、新しく竹田宮を創設した事実がある。


上記の人物はその末裔で、明治天皇からは内親王の血筋(女系)を介して、4世の孫に当たられる。なので、「玄孫(=孫の孫)」と称しておられるのだろう。これは決して詐称ではない(同人物がもし“旧皇族”などと名乗ったら、それは勿論、詐称になるが)。ばかりか、極めて興味深い名乗り方と言わねばならない。


何故なら、この方は、遠く離れてはいても(実に21世!)、男系でも天皇の血筋を引いておられる。にも拘らず、“敢えて”男系ではなく、明治天皇の内親王の血筋、つまり女系の方を専ら自らの血統として誇示されているからだ。これは、男系・女系の区別よりも、天皇との血縁の距離(遠いか近いか)こそが重要である、という事実を自ら(恐らく無意識的に)感得していることによるものだろう。


多くの人々も、男系・女系の区別には拘(こだわ)りがないので、先のような名乗りも、特に違和感なく聞き流しているのだろう。

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