麗澤大学教授・八木秀次氏の一文(産経新聞4月27日付)。女性・女系天皇が抱えるであろう問題を3点、指摘しておられる。その1は、女性・女系天皇を認めるには「憲法改正を必要とする」ということ。
これは奇妙な言い分だ。帝国憲法ならその通り。しかし、現行憲法では当たらない。
周知のごとく、憲法は次のように変わった。
帝国憲法「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依(よ)リ皇男子孫之(これ)ヲ継承ス」(2条)→現行憲法「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」(2条)
一目瞭然、“男系男子”限定を意味した「皇男子孫」という語が、必ずしもそうした限定を伴わないフラットな「世襲」という語に、はっきり置き換わった。これを素直に解すれば、男系男子という“縛り”は、憲法マターから皇室典範マターに変更された(つまり女性・女系天皇を認めるのに憲法の改正は不要)、と受け取るのが自然だろう。現に政府見解も以下の通り。
「皇位を世襲とする限り、憲法を改正しなくても、皇室典範を改正することにより、女系又は女性の皇族が皇位を継承することを可能にする制度に改めることができる」(内閣法制局・執務資料『憲法関係答弁例集(2)』)
八木氏の意見は支持できない。
その2は、「正統性の問題」。しかし、過去に10代の女性天皇がおられただけでなく、女性天皇のお子様は一般皇族の父親ではなく、天皇である母親の血統(女系)に位置付ける法的規範が存在した(大宝・養老令)。
あるいは歴史上、“入り婿”型の皇位継承も認められる(継体天皇の例など)。女性天皇のお子様は「皇統」に属する「皇族」であられる以上、その正統性に疑念を差し挟む余地は無い(正統性についての疑念は、むしろ旧宮家系国民男性の皇籍取得に生じかねないだろう)。
そもそも、同氏の考えでは、女性・女系天皇は憲法改正の結果、即位に至ったはず。
既に国民投票によって改正された憲法自体に根拠を持つにも拘らず、敢えて正統性を問題視する理由が分からない。
その3は、「皇族の範囲」。同氏はどうやら皇族の“定義の仕方”そのものが、理解できていないようだ。「古来、皇族の範囲は初代天皇の男系子孫であることを前提としてその時々の事情に応じて調整してきた」などと、いささか見当外れなことを述べておられる。
「初代天皇の男系子孫」は国民の中にも多数、存在する。そのことは、例えば太田亮『姓氏家系大辞典』(全6巻)を覗くだけで明らか。だから、初代天皇の血統から名分上、更に皇族を“区別”することにこそ、定義上の意味がある。皇族を定義した法的規範としては、大宝・養老令および明治・昭和の皇室典範がある。それらに共通するものは何か。
当然ながら、“その時”の天皇との血縁によって皇族を定義していること。であれば、女性・女系天皇が即位されても、そうした皇族の“定義の仕方”には、何の変化も生じない。つまり、皇族の範囲を巡って問題は存在しないのだ。逆に、同氏が唱える旧宮家系国民男性に新しく皇籍取得を可能にするプランは、この点で問題を生み出しかねない。
と言うのは、明治・昭和の皇室典範では、前近代に僅かにあった皇族の身分を一旦離れた後に、再び皇籍に復した“異例”を、今後は二度と認めないことを皇族の定義に取り入れたからだ(明治典範増補6条、昭和典範15条)。
これは、皇室の「聖域」としての尊厳を守る為の規範だった。旧宮家系男性に新しく皇籍取得を認めることは、(その前代未聞の血縁の遠さと世俗での歳月の長さにおいて)前近代での異例とは比較にならない、皇族の定義それ自体の混乱を招きかねない。
そうした前例を開くと、旧宮家系“以外”にも多数存在する「初代天皇の男系子孫」の皇籍取得の可能性にまで波及し(既にその種の議論が一部に見えている)、皇室と国民の厳格であるべき区別が“曖昧”になる恐れがある。なお、同文は「安定的な皇位継承確保のために」と題しながら、以上3点の問題を指摘しているだけ。
皇位継承の不安定化の最大の原因である側室の不在と非嫡出の継承否認の事実には、一言半句も触れていない。文末に唐突に「伏見宮系の今に続く男系子孫を現在の宮家の養子にするなど皇籍取得を実現することが…『安定的な皇位継承確保』に最も適(かな)うと思われる」と呟(つぶや)いておられるのみ。
その困難さは繰り返し指摘して来たが、万一それが実現しても、上記の事実を前提とする限り、決して「安定的な皇位継承確保」には繋がらないことを、ここで再確認しておこう。