明治維新と天皇
戦後歴史学において、明治維新は「天皇制絶対主義」の成立と見なされていた。
しかし、それは専らマルクス主義の立場からの偏った見方で、客観的根拠を欠いていた。
にも拘らず、長く影響力を持った。
だが、さすがにいつまでも通用しない。
やがて実証的な批判に晒されることに。
近年の有力な学説は以下のような捉え方だ。
「中国革命とロシア革命以来、20世紀を通じて、革命とは君主制の打倒に他ならず、社会に内在する歪みを正す大変革を、君主制が遂行することはあり得ぬと考えられてきた。この点で明治維新は顕著な例外をなす。
…専制者が貴族の弱化・解体を図ることがある。
彼らは自らを庶民の味方として表現し、民衆の圧力を動員して既得権者を弱体化させるのである。ナポレオン1、3世のように、これは君主制を打倒した後に成立した近代の独裁体制にしばしば見られる。しかしながら、こうした現象は伝統的な君主制では稀(まれ)にしか見られないようである。君主は貴族と一体で、互いに協力して権力基盤を維持し、しばしば下からの挑戦や反乱を抑止するように行動する。
…これに対し、19世紀日本では君主制が変革のピヴォット(回転軸)となった。
それは、天皇が14世紀以来、国政決定権も財産も持たず、ただ国家統合の象徴として存在してきたからである。
幕末の天皇と廷臣が狙ったのは利権の拡張でなく、その象徴的権威を高めることであった。…日本の類例は18世紀の名誉革命後のブリテン(英国)以外には見出だすことが難しいだろう。
ブリテンで『王は君臨すれども統治せず』という体制が成立し、日本の伝統的な王権のあり方に近づいたのは、半世紀にわたる激烈な内戦を経て王権が無力化し、かつ秩序の安定が喫緊の課題となった結果、王権の象徴的な統合力と議会による決定権との組み合わせに行き着いたからと思われる。
ただし、君主制の弱体化は大規模な社会変革にとっては必要条件に過ぎない。君主制が改革の鍵となり、十分条件を与えた明治維新は、やはり珍しい事件だったのかも知れない」(三谷博氏)
「日本では君主制が変革のピヴォットとなった」と言い切っておられる。
こうした、「天皇」という存在に対する客観的かつ肯定的な(更に積極的な)評価は、明治維新を巡るこれまでの研究史の一端を承知している私のような者にとっては、(勿論、百点満点とは思わないが)アカデミズムの健全化の一指標として、いささか感慨を禁じ得ない。
なお、「君主制を打倒した後に成立した近代の独裁体制」の典型例は、勿論シナとロシアだろう。