足利義満は皇位簒奪を狙ったか?
室町幕府3代目の将軍、足利義満。
彼が皇位の簒奪(さんだつ=臣下が君主の地位を奪い取ること)を企てたとの学説がある(近年では今谷明氏の説など)。
しかし、果たして事実だったのか。
今の学界ではとても広く支持されているとは言えないだろう。
例えば、以下のような批判がある。
「(簒奪説が)大きな根拠のひとつとして注目してきたのが…(義満の実母)良子(よしこ、)が順徳天皇の四世の孫にあたるという事実であった。
つまり良子を通じて義満に流れこんだ順徳天皇の血が、義満に皇位簒奪の野心をいだかせたと考えられているのである。
けれども私は、この仮説には大きな無理があると考えている。
そもそも順徳天皇の血筋など、皇位継承のうえではほとんど問題にならない存在であったうえ、義満の良子にたいする一貫した冷遇は、皇位簒奪計画なるものの存在を根本から疑わせるにたる事実だからである」(桜井英治氏)
義満の実母だった石清水八幡宮検校(いわしみずはちまんぐうけんぎょう)の善法寺通清(ぜんぽうじつうせい)の娘、紀(きの)良子。義満は彼女を長年、冷遇し続けて、遂に姿をくらます事件まで起きていた。
このような事実を確認できる以上、簒奪説は有力な根拠を失ったと見るべきだ(今谷氏ご自身も「あえて…大胆な臆説を披露すれば」と断っておられた)。