マヤ文明を巡る新発見
古代マヤ文明を巡り次のような報道。
「古代マヤ文明の遺跡の調査を進める日本や米国、メキシコなどの研究チームが、メキシコ南部のアグアダ・フェニックス遺跡で、同文明で最大とみられる建造物を確認した。
南北約1400メートル、東西約400メートルにわたっており、祭祀(さいし)用とみられる。
紀元前1千年~800年に築かれたとみられ、研究チームは『社会的な不平等が小さくても大規模な共同作業ができることが示され、従来の文明観を覆す発見だ』としている。
4日、英科学誌ネイチャーに発表した」(朝日新聞6月4日、0:00配信)
イギリスの「Nature」は世界的に権威のある雑誌。
これは画期的な新発見だろう。
調査に加わられた茨城大学の青山和夫教授は次のようにコメントされていた。
「人々が定住を始めて間もない時期に造られたものだ。
神聖な山を築くことで、共同体のアイデンティティーを確立しようとしたのでは」
又、アメリカのアリゾナ大学の猪俣健教授は、他の遺跡で見られる権力者を示す石彫(いしぼり)などが見つかっていない事実から、次のように推測されている。
「人々が自発的な意思で集まって、建てたのかもしれない」と。
巨大建造物は全て、無慈悲な支配者による苛酷な民衆支配の産物としか見なかった、旧式の観念は大きく見直しを迫られるだろう。
これに関連して思い起こされるのは、わが国の古代における「古墳」の築造だ。
かつて、“階級闘争史観”が歴史学界に強い影響力を持っていた時代には、「専制君主の権力誇示の大土木事業」(甘粕健氏)という見方が有力視されていた。
しかし、近年では以下のような意見が提起されている。
「中小河川流域を一個の領域とした狭隘(きょうあい)な農耕共同体では、そこで消費された諸物資はとても自給できなかったし、高度な技術をもった工人も確保できなかった。
したがって、自給できない物資・情報・技術者などの交通(交易)を仲立ちとした、首長と首長の結びつきが(共同体の存続の為に)第一義的になっていた。
…1人の首長の死は、そうした首長同士のつながりを破壊すると観念され…ひいてはそれ(首長同士のつながり)に媒介された農耕共同体の死に重なるという共同観念が醸し出された。
だからそのまま放置しておくと…共同体に災厄をもたらしかねない首長の死を、たゆまざる安寧を招くように位相転換させたのが前方後円墳祭祀(ぜんぽうこうえんふん・さいし)であった」(広瀬和雄氏)
こうした見解の細部にわたる検証は、なお今後の課題だろう。
しかし、古墳築造という巨大事業の背景に、ひたすら一方的な権力支配だけを見ようとするのではなく、共同体それ自体の要請を想定する観点は、歴史を理解する上で重要な示唆を含んでいるはずだ。