「忘恩の義務」という忠誠
「忘恩の義務」という言葉がある。
元々は、フランスの憲法院長を務めたロベール・バダンテールの言葉だが、「自己の任命権者に対しても裁判官自身が独立性を守るべきことを要求する義務」を意味する語として、広く使われているようだ。
フランス憲法院の院長は大統領によって任命される。
しかし、憲法院長が任命権者の大統領に忖度(そんたく)していたら、大統領選挙の適法性を監視し、法律の合憲性を審査するなどの権限を持つ憲法院のトップとして、その職責を全うすることはできない(フランス第5共和国憲法第7章)。
大統領が自分を院長に任命してくれたという私的な「恩」を完全に“忘却”することこそ、憲法院長たる者の神聖な公的「義務」でなければならない。
これは勿論、フランスに限らない。
わが国の場合、最高裁判所の長官は内閣の「指名」による(日本国憲法第6条)。
しかし、司法のトップである最高裁長官が内閣総理大臣(行政のトップ)に忖度しているようでは、三権分立という“理念”の意味が無くなる。
そんなことでは、憲法上、最高裁長官を(内閣の指名に基づいて)「任命」されるお立場の、天皇を裏切る結果になるだろう。
内閣に対し、「忘恩の義務」を深く自覚してこそ、わが国における“公(おおやけ)”の究極の体現者たる、天皇への忠誠を尽くすことができる、と言うべきか。