付和雷同
以前にも紹介したはず。
でも今、改めて取り上げることは、無意味ではなかろう。
昭和天皇が終戦間もない頃に、「戦争の原因と防止の不可能なりし所以(ゆえん)」について語られた内容を、侍従次長だった木下道雄氏が記録していた(同氏『側近日誌』所収の「聖談拝聴録原稿(木下氏のメモ)③」)。
そこには以下のようなご発言があった。
「我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性の多いことで、これは多いに改善の要があると考える。
…戦前及び戦時中のことを回想して見ても、今の首相の吉田(茂)などのように自分の主義を固守した人もいるが、多くは平和論乃至(ないし)親英米論を肝(きも)に持っておっても、これを口にすると軍部から不忠(ふちゅう)呼ばわりされたり非愛国者の扱いをされるものだから、沈黙を守るか又は自分の主義を捨てて軍部の主戦論に付和雷同して戦争論をふり回す。かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった1つの原因であった」と。
昭和天皇のお嘆きから既に長い歳月が流れた。
果たして、「付和雷同性の多い」「落ち着きのない」「国民性」は、「改善」されたか。
「感染治療学」がご専門の岩田健太郎氏の指摘にも、次のようにあった。
「日本人は同調圧力に弱く、人と違うことに耐えられず」
「ルールを決められると、思考停止してそれに徹底的に従ってしまい」
「政府に正しいガイドライン、正しい答えを出せ、と過大な要求をしている」と。
必ずしも、はかばかしく改善されてはいないのではあるまいか。
ひょっとしたら、更に悪化している可能性も否定できないだろう。
だが、新型コロナへの対応にも「付和雷同」は禁物のようだ。
「人と違う行動をとれば感染リスクは小さくて済む」(岩田氏)という。