日本書紀の再評価
戦後の歴史学、日本古代史研究において、日本書紀は久しく“冷遇”されて来た。
もっぱら天皇の権威と、その統治の正統性を一方的に顕揚する為だけの、“いかがわしい”書物で、とても信用するに足りない。
正しい古代史は、実際の遺物・遺構・遺跡を手掛かりに歴史を復原する、考古学によって明らかにすべきだ。
―という考え方が暫く有力だった。
以前、「大和時代」と呼ばれていた時代区分が、「古墳時代」に呼び換えられるようになったのも、この時代の主な手掛かりが、日本書紀から考古学にシフトしたのを、そのまま反映している。
しかし興味深いことに、その、日本書紀に取って替わったはずの考古学の成果が、次第に日本書紀の信頼性を回復させて来た経緯がある。
一時期、学界に大きな影響を与えた「大化改新」否定論が、難波宮(なにわのみや)跡の発掘や、同時期の地方行政の拡充を示す木簡(もっかん)の出土など、考古学上の証拠によって、ハッキリと否定されたことは、その良い例だ。
近年の日本書紀の復権は目覚ましい。
そうした傾向を促進する1つに、日本書紀の「読者」に注目する方法論がある(遠藤慶太氏など)。
日本書紀の“当初の”読者は誰か。
他でもない、書紀編纂(へんさん)に当たって、資料の提出にも協力した、朝廷に結集する諸氏族に他ならない。
書紀には、諸氏族の神話・伝説上のルーツや歴史上の朝廷への貢献なども、多く記されている。
それは、各氏族にとって、今現在の自分たちの権限や職掌、待遇などにも直結する。
諸氏族のステータスそれ自体に関わると言えるだろう。
だから、とても無関心ではいられない。
記述内容の正確さや妥当性を注視したに違いない。
そうした事情を考えると、書紀の記述は、天皇サイドの思惑だけによる、勝手気ままで一方的な内容には、どうしてもなり得なかったはずだ。書紀の「神代(かみよ)」(巻第1・2)の記事が、正文だけでなく、「一書(あるふみ)にいわく…」として多くの異伝も載せているのは、そうした背景も考慮に入れる必要があるのかも知れない。
いずれにしても、「読者」を想定することで、その記述内容に大きな逸脱や歪曲などがあったとは考えにくい、とする新しい捉え方は、書紀再評価への1つの説得力のある視点だろう。