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執筆者の写真高森明勅

「女系」は無い?

更新日:2021年1月21日

「女系」は無い?

「男系」維持論者が時折(又はしばしば)唱える突飛な意見。例えば「女系なんて無い」とか。実際に存在するのは男系だけで、女系と言われているのは、相手の男性の系統、つまり男系だけだ、と。そこから、女性天皇が国民だった男性と結婚して、そのお子様が即位すれば「王朝交替(こうたい)」が起こる、などという妄想が生まれる。「男系」社会のシナならば、確かにその通りだろう。


しかし、わが日本の場合はどうか。もし女系が存在しないというのが事実なら、男系維持派で「明治天皇の玄孫」を名乗っておられる竹田恒泰氏は、明治天皇とは何の繋がりもないことになる。彼の場合、内親王の血統、つまり女系を介して、はじめて明治天皇に繋がり得るからだ。


いわゆる旧宮家の東久邇(ひがしくに)家の、明治天皇・昭和天皇との血統上の繋がりも、全て女系による。従って、女系という血統そのものを否定するなら、それらの繋がりも否定される結果になる。そのことを自覚して主張しておられるのか、どうか。


又、これまで皇族同士のご結婚は、法規範の上でも、歴史上の実例としても、当たり前(又は望ましい)のこととされて来た(歴代天皇で時代的に最も近い例では昭和天皇と香淳皇后のご結婚)。


しかし、女系が“無い”なら、それは男系としては同じ血統を引く者同士の結婚ということになる。殆ど近親相姦に近い。人倫上、到底許されないと見られるだろう。現にシナでは、「同姓不婚(どうせいふこん=同じ男系の男女は決して結婚しない)」という原則が、長く維持されて来た。わが国でその原則が全く通用しないのは何故か。男系だけでなく、女系にも意味を認めて来たからだ(それではじめて、同じ皇統に属していても区別が成り立つ)。


更に、古代には女性を始祖とする氏族もあった。尾張連(おわりのむらじ)・猿女君(さるめのきみ)・阿曇連(あずみのむらじ)等。母親の「姓」を名乗ったケースも珍しくなかった。例えば『播磨国風土記』に物部守屋(もののべのもりや)を「弓削大連(ゆげのおおむらじ)」と表記しているのは、母親が弓削連氏だったのに基づく。


蘇我入鹿(そがのいるか)が「林臣(はやしのおみ)」(日本書紀)とか、「林太郎」(上宮聖徳法皇帝説)などと呼ばれていたのも、母親が林臣氏だった可能性が指摘されている(東野治之氏)。


西暦645年の「男女の法」で、良民同士の結婚で生まれた子を男系に属させるべきことを“わざわざ”規定したのも、女系という「もう1つ」の血統を前提としていなければ、考えにくい。同法が施行された後も、古くからの伝統が根強く残り、子が女系に位置付けられる例が少なくなかった。その事実は、『続日本紀(しょくにほんぎ)』・『続日本後紀(こうき)』の記事などから知られる。


そもそも「継嗣令(けいしりょう)」(大宝令・養老令)に、女性天皇と男性皇族が結婚して生まれた子を、男系ならば(一般皇族の子だから)「王」なのに、ことさら「親王」と規定しているのは、母親の血筋、つまり女系に位置付けられている為、と理解する他あるまい。


…等々。もはや一々、反証を列挙するには及ぶまい。シナ男系主義の先入観(からごころ)を排して、素直に日本歴史の実情を見れば、「女系なんて無い」などとはとても言えないことが明らかだ。

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