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執筆者の写真高森明勅

大和路の歴史をしのび

更新日:2021年1月21日

大和路の歴史をしのび

これまで、昭和天皇の御製(ぎょせい)の中から、「君主」としてのご自覚を明瞭に窺うことができるものを、紹介してきた。どうしても欠かせない1首に、昭和60年の新年歌会始でご発表になった御作がある(お題は「旅」)。


遠つおや(祖)の

しろしめしたる

大和路の

歴史をしのび

けふ(今日)も旅ゆく


昭和天皇は昭和54年から同59年にかけて、短期間に3回も奈良県を訪れられた。昭和54年には正倉院・高松塚古墳・法隆寺などをご視察。同56年には全国植樹祭、同59年には国民体育大会へのお出ましだった。


その際、昭和54年に聖武(しょうむ)天皇・光明(こうみょう)皇后、同56年には神武(じんむ)天皇の御陵(ごりょう)に、それぞれ親しく拝礼をされていた。ここに掲げた御製は、勿論、その時の実際の「旅」を踏まえておられる。しかし、この和歌の“眼目”と言うべき「しろしめしたる」という語に注目すると、それを超えたご感慨を感じさせる。


「し(治)ろしめ(召)す」は「し(治)る」の尊敬語。“支配”を意味する古語の「うしはく」という語と対比すべき言葉だ。“うしはく”が「大人(うし)佩(は)く=主(あるじ)として身につける」つまり「私的」「個別的」な支配を意味するのに対し、天皇による国内統合が持つ「公的」「普遍的」な(公平無私であるべき)性格に配慮して、敢えてこの古語を用いられたと拝し得る。


昭和天皇は、初代の神武天皇以来の「大和」に都を定められた歴代天皇の「しろしめしたる」歴史を遠く回顧されると共に、今もその精神を受け継ぎ、日々“しろしめされる”務めに力を

尽くすべきご自身の責任を、改めて銘記された。


「けふも旅ゆく」という結びの句には、そのような“君主”としてのご決意を、読み取ることができる。

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