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執筆者の写真高森明勅

ことなべて御身ひとつに

ことなべて御身ひとつに

ことなべて御身ひとつに


上皇后陛下が、「歌人」としても卓越したご資質を備えておられることは、皇室に関心を持つ人には広く知られた事実だろう。

その上皇后陛下が、平成10年の上皇陛下のお誕生日にちなみに、次のような御歌(みうた)を詠(よ)んでおられた。


ことなべて

御身(おんみ)ひとつに

負ひ給(たま)ひ

うらら陽(び)のなか

何(なに)思(おぼ)すらむ


上皇陛下(当時は天皇)は、世の中のあらゆる事柄をご自身の責任として背負われて、うららかな日差しの中におられる今も、人々の為に、どのように御心(みこころ)を砕いておられるのだろうか。

お側近くで暮らす自分でさえも、軽々しく思いを及ぼせない「天皇」だけの厳(おごそ)かな責任感が拝されて、粛然たる気持ちになる。

ーそのような意味の御歌だろう。


うららかな日差し(うらら陽)と、全てをご自身の責任として背負われようとする陛下の厳(きび)しいご態度(御身ひとつに負ひ給ひ)との“対照”が、印象的だ。


しかし、これは勿論(もちろん)、単なる文学的な技巧ではない。

そうした一見、穏やかな日常にあっても、常に「天皇」として、自らが「象徴」という“責務”を課されている国家と国民に関わる、ありとあらゆる事柄(ことなべて)に、避けがたくご自身の責任をお感じになられる、陛下の日々の具体的な現実に裏打ちされた表現だ。


上皇陛下のビデオメッセージ(平成28年8月8日)にあった「全身全霊」というお言葉の背景には、そのようなご日常があった。

これはもはや、通常の「君主」や「元首」という次元を超えた境地ではあるまいか。



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