面白い質問を受け取った。次のような疑問にどう答えたらよいかとのお尋ねだ。
「既に『昭和の日』があり、11月3日を『明治の日』に改めようという運動もある。ならば『大正の日』は要らないのか」と。これは、実は「昭和の日」運動のスタート時点で解決した問題だ。
遥か昔の平成6年に、運動の趣旨を整理したパンフレットで私は以下のように説明した。
「ご歴代の天皇のお誕生日をすべて祝日とすることは現実上の無理があり、今上(きんじょう)陛下のお誕生日を祝う天皇誕生日とのかねあいからも不都合な点があります。しかし、日本の歴史の上で特筆すべき飛躍や危機の時代を支えて下さった天皇陛下について、その時代を生きた人びとの足跡をのちにとどめる意味も込めて、国民にそのお誕生日が残ることを願う思いが強い場合、その趣旨を生かした祝日として残されるのが望ましいでしょう。
4月29日は、すでに祝日として残っているのですから、この日を本来の意味に沿った『昭和の日』…などと改めて、人びとの昭和天皇と昭和への思いを銘記するにふさわしい祝日とするのがよいでしょう」と。
先ず、今後、365代(!)の天皇の全てのお誕生日を祝日にするのか?という話だ。 もちろん、あり得ない。
しかも、今上陛下のお誕生日が「天皇誕生日」としてあるのに、それに並んで代々の天皇のお誕生日が祝日として残っているのは、むしろ望ましくないだろう。大切な「天皇誕生日」が相対化されかねないからだ。しかし、明治天皇の場合、既に明治神宮が存在すること自体、異例だ(例えば、昭和神宮は無い)。
もちろん、橿原(かしはら)神宮をはじめ、天皇を祀(まつ)る神宮はいくつかある。しかし、あくまでも例外だ。その天皇が歴史上、どのような役割を果たされたか、その歴史的経験を国民がいかに深く心に刻もうとしたか、等の事情によって決まって来る。明治神宮を求めた国民は、それだけでは満足せず、更に「明治節」を実現させた。
これは明治が、“古代の延長線上だった時代”から“現代と地続きの時代”へと、未曾有(みぞう)の飛躍を遂げた時代だったこと、明治天皇がその偉大な時代を導かれた傑出した指導者だったこと、その偉業が圧倒的多数の国民に強い敬慕の念を抱かせたこと、等が決定的な意味を持った。その11月3日が占領下に「文化の日」に変えられても、祝日として“残って”いる以上、それを「本来の意味に沿った」
祝日に正そうとする動きが現れても、何ら不思議ではない。4月29日も、平日に戻されるのが従前の例なのに、そのまま祝日として残った(名称は当初「みどりの日」だったが)。その経緯を、当時、内閣官房副長官として実務万端を取り仕切られた石原信雄氏に、私から直接、伺ったことがある。
その時、同氏は、昭和天皇のご不例(ご闘病)から崩御(ほうぎょ)に至る間、多くの国民が皇居その他に設けられた(お見舞い、弔問の為の)記帳所に詰め掛けた姿を見て、政府に平日に戻すという選択肢は無かった、と明言された。
昭和時代の天皇と国民は、日本の歴史上、かつて無かった激動の日々を共に生き、どん底の敗戦から目覚ましい復興を成し遂げた(祝日法に書き込まれた、この祝日の趣旨を思い起こして欲しい。そこには、運動を進めた我々民間サイドの提案がほとんど盛り込まれている。キーワードは“復興”)。
その復興を支えられた昭和天皇への国民の思いが格別なのは当然だろう(このような指摘が、不遜に天皇の優劣を比較するものでないことは、改めて言うまでもない)。この種の祝日については、“生きて、血の通った”歴史そのものに寄り添って考えなければならない。頭の中だけの連想で、「昭和の日」があるなら「大正の日」も…などという単純な話ではない。