今年から50年前の昭和45年11月25日。
自衛隊の施設(東京・陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地)内で、三島由紀夫らが“憲法改正”を訴えて自決した。いわゆる「三島事件」だ。
人々に強烈な衝撃を与えた。同事件の裁判の判決文(東京地方裁判所、昭和47年4月27日に判決)を読み返してみると、意外と同情的なのに驚く。
例えば憲法を巡り、以下のような言及がある。「翻(ひるがえ)って考察するに、憲法は、その第9条において戦争放棄等をうたっているが、自衛権は、実定法の規定をまつまでもなく、我国(わがくに)が主権国として持つ天地自然の、即ち固有の権能であって、憲法の平和主義は、決して無防備、無抵抗を定めたものではないところ、この自衛権の裏付けとしては必要最小限度の戦力すら保有しえないかにつき…
法解釈上深刻な対立があり、さらに自衛のための戦力を保持しうるとの見解に立っても、その限界がいかなるものか不明確であって、現に存在する自衛隊が合憲か否かにつき、一切の戦力を保持しえないとする立場からは勿論(もちろん)、前記最小限度の自衛力の保持を認める立場からも疑念の持たれていることは否定しようもない事実である。
…元来(がんらい)国家の基本構造に関する憲法の規定は、その解釈に疑いがないように定められることが理想であり、ことに自衛権、統帥(とうすい)権(陸海空軍という特定の国民を統督し、直接その自由を拘束し、かつ、その生命も要求する権能)、と国民の生命権との調和に関するような枢要な部分について…総意をまとめることは非常に困難を伴うことは充分理解しうるところではあるが、さればこそ政治をあずかる国政要路にある者達は、ただいたずらに国論を二分するにまかせ、あるいはなしくずし的に曖昧な法の運用をもって既成事実を積み重ね、あるいは固定理念にのみとらわれていてはならない筈(はず)のものである。
にも拘(かかわ)らず、大多数の国民をして明朗闊達(かったつ)な言論を通じて国政を匡正(きょうせい)するという言論の実効性に対する態度を助長させず、ために屡々(しばしば)一部国民が直接行動に出て実定法秩序を無視するという事態を惹起(じゃっき)するに至らせている疑いを否めない現実があり、被告人らが自衛隊を国民道徳頽廃(たいはい)の
元凶と極言する心情は、無下(むげ)に排斥できないように思われる」と。
これは、事件の当事者らの主張に“一理ある”ことを、裁判官がかなり踏み込んで追認しているに、近い。
ほとんど、憲法改正の必要性を示唆していると受け止めても、さほど的外れではあるまい。
但し最後の「“自衛隊”を国民道徳頽廃の元凶」とある箇所は勿論、正しくは「憲法を…」とあるべきところながら、さすがに裁判官として、そこまで明け透けな憲法批判は控え、敢えて「(憲法の欺瞞的な解釈・運用の下に置かれている)自衛隊」に差し替えたのだろう。
それでも、十分、憲法(及びそれを放置して来た「国政要路にある者達」)への批判的な姿勢は読み取れる。