共同通信が以下のような記事を配信した(11月24日、6:00時配信)。
「政府が皇族減少に伴う皇室活動の担い手として、女性皇族が結婚した後に『皇女』の尊称を贈り、公務への協力を委嘱する新制度を検討していることが分かった。皇籍を離れた後も活動に関わってもらい、皇室の負担軽減を目指す。
結婚後も皇族の身分を保持する『女性宮家』の創設は、女系天皇の容認につながる可能性があるとして見送る方向だ。…男系による皇位継承を主張する保守派の賛同を受けられるとの判断が背景にある」。
読売新聞(11月24日付)にも同様の記事(特例法での対応などにも言及)。
以前、「皇室輔佐(ふさ)」とかヘンテコな呼称で同様のプランが報道され、強い反発を受けて引っ込めたものを、呼び方を変えただけ。やはり、ここに逃げ込もうとしているか、という感想だ。
政府が、何より肝心な「皇位の安定継承」への検討を、又ぞろ先延ばしし、「皇族数の減少」に対してだけ、しかも目先を誤魔化すに過ぎない姑息な手段を、安易に選ぼうとするだろうことは、かねて警鐘を鳴らして来た。問題の焦点が「皇室の負担軽減」にあるのでは“ない”ことは、多くの国民にとって自明だろう。
このプランでは、実際の皇族数の減少には全く歯止めが掛からない。どころか、一度、国民の仲間入りをされた場合、それらの方々は、もう皇族の身分に戻れない。結局、(最後のチャンスさえ逃して)悠仁親王殿下お1方人だけになってしまう。
その冷厳な結果は何も変わらない(他は「皇女」という特別職の国家公務員〔!〕ばかり)。これは皇室存続の決定的な危機を意味する。にも拘らず、その現実が見えにくくなる恐れがある。
皇位の継承を困難にし、皇室の存続そのものを危うくする、このような方策はとても容認できない。しかも、憲法上も、人道上も、極めて深刻な問題を抱える。特別職の国家公務員とはいえ、特定の「血統」の国民(女性皇族がご結婚後、既に皇籍を離れておられるなら当然、国民なので)だけが就くことが出来る身分を新たに設けることは、憲法における国民平等の原則に明らかに抵触するだろう(天皇と皇族だけが別枠。国民ではないので)。
又、ご結婚により国民の仲間入りをされた以上、憲法が国民に保障する権利と自由(表現、居住、移転、職業選択の自由など)は、最も尊重されなければならない。そのことと、引き続き皇室の「公務への協力を委嘱する」制度は、十分に整合性を保てるのか。
国民となられた以上、その“委嘱”を辞退する「自由」も、当然お持ちのはず。だが、そこに暗黙の強制が働かない保証はあるのか。更に、ご結婚相手の国民男性の(憲法に保障された)自由かつ活発な政治活動・宗教活動・経済活動などを認めつつ、その妻である元皇族女性による皇室のご公務の分担という仕組みは、両立し得るのか。
そもそも、「皇女」は“天皇の(直接の)娘”に当たる方を指す語だ。ところが現在、「皇女」たる内親王は敬宮(としのみや、愛子内親王)殿下お1方だけ。他の「女性皇族(内親王・女王)」は、天皇の孫や、より血縁の遠い方々。それらの方々にまで「皇女」という、実態とはかけ離れた尊称を贈ることは、端的に言って言葉の誤用であり(むしろ詐称に近い)、決して適当ではあるまい。
とても正気で採用できるプランではない。
それにしても、これほど無理で奇妙な制度を「検討」しながら、男系派が唱える旧宮家案は一顧だにしないということは、一体、何を意味するか。政府自体、それが現実的な選択肢になり得ないことを、よく分かっている事実を示している。
しかし、それでいながら男系派の「賛同」を得ようとするから、かくも奇怪な制度を持ち出す羽目に陥ることになる。しかし、男系維持に何の役にも立たず(!)、ただ皇室の存続を危うくするだけの、こんなプランに賛同する「保守派(男系派)」など、本当に存在するのか。
もし存在するとしたら、よほど…。