かつて、上皇陛下が(国民の為に)ご譲位へのお気持ちを示唆された頃。保守系の論者の中に、それに公然と背(そむ)こうとする者らがいた。彼らの言い分はこうだった。
「天皇は存在するだけで有難い。宮中の奥深くで、ただお祈りだけして下さればよい。
だから、ご譲位は必要ない」と。
これは、“以前の”辻元清美衆院議員が「天皇制を廃止しろ」という考えから、「1条から8条はいらない」「天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人か何かになってもらう。財団法人でも宗教法人でもいいけど」と主張されていたのと、殆(ほとん)ど重なる。
と言うより、辻元氏の方がより筋が通っている。天皇が「ただ存在するだけで尊い」なら憲法1~8条はいらないだろう。実際に私は、ある天皇“絶対”論者が「天皇は絶対的存在で、憲法をも超えていなければならない。だから、憲法の1~8条はいらない」と断言するのを聞いて、驚いたことがある。
勿論(もちろん)、思想・信仰は自由だが、「この人は、明治天皇が自ら立憲主義を採用され、昭和天皇が戦前・戦中の激動の時代にも、懸命に憲法を擁護し尊重しようと努力された事実を、一体どう考えているのか」と首を傾(かし)げた(しかも憲法は9条の「戦争放棄」から始まることになるのだが…)。
更に、宮中の奥深くで祈っても、畏れ多いが、宮中三殿の中央、賢所(かしこどころ)に祀(まつ)られるご神体(しんたい)の「宝鏡」は、あくまでも伊勢の神宮に祀られる「神鏡」の“ご分身”だ。
ご本体は伊勢(!)にある。
「ただお祈りだけして下さればよい」のなら、むしろ清浄この上ない神宮の近くにお住まいになって、ひたすら祭祀に明け暮れられるのが、最も相応しいはずだ。彼らの中途半端な意見を徹底すれば、辻元氏の昔の主張に行き着く。但し、それは「天皇制を廃止」することを意味する。辻元氏はそのことをちゃんと自覚しておられた。
一方、保守系の論者は恐らくそのことに気付いていないだろう。その点でも、辻元氏の方が遥かに上手(うわて)だ。なお、日本の歴史上、ただ1度だけ、政権の中枢で天皇「無化」への提案がなされたことがあった。それは、関ヶ原の合戦で勝利を収めた徳川家康が、「大坂の陣」で豊臣勢力を退け、国内で政治的・軍事的に最強者となった局面でのこと。家康に、側近だった天台宗の僧・天海が、こんな提案をしている。
「天皇や貴族を伊勢に移して、神宮の神主(かんぬし)にしてしまえば、将軍様の地位は自ずと“君主”同様の勢いにお成りでしょう」と。
しかし、伊勢・津藩の藩主、藤堂高虎(とうどう・たかとら)が反対し、家康自身の考えもあり、結局、天海の提案が取り上げられなかった、という経緯があった(塩谷世弘〔しおのや・せうこう〕「御文教之儀(ごぶんきようのぎ)に付(つき)奉申上候(もうしあげたてまつりそうろう)」安政2年6月。深谷克己氏『近世の国家・社会と天皇』)。
辻元氏がこのエピソードを直接、知っていたとは考えにくいが、どこかで伝聞情報でも耳にされたのか。それとも、リアルな天皇「無化」策を真剣に考えて、偶然、天海と同じような結論に達したのか。勿論(もちろん)、同氏は今では既に考えを改めておられるので、その点は念の為に付言しておく。