上皇陛下が、初めて沖縄にお出ましになったのは、昭和50年。昭和天皇の御名代(ごみょうだい)として沖縄海洋博覧会の開会式に臨まれる為だった。当時は皇太子でいらした。
これは戦後、皇族が沖縄の地を訪れられた最初でもあった。同年7月17日、糸満市の「ひめゆりの塔」で上皇后陛下(当時は皇太子妃)とご一緒に黙祷が終えられた直後、洞窟に隠れていた左翼過激派の青年2名が、両陛下に火炎瓶と爆竹を投げつける事件が起こった。いわゆる「ひめゆりの塔事件」だ。
あわや大惨事になるところだった。この時、上皇陛下は泰然自若として少しも動じられることがなかったので、現場の警備責任者が感服している。その後、何事もなかったかのように、予定通り慰霊の地を巡られた。
案内役を務めた屋良朝苗(やら・ちょうびょう)沖縄県知事(当時)は、「あれほど敬虔(けいけん)な態度で参拝された方は、ご夫妻(両陛下)以外おられない」と涙を流しながら語っていた。
事件の夜、上皇陛下は予定になかったお言葉を公表された。
「私たちは沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、平和への願いを未来につなぎ、ともどもに力をあわせて努力していきたいと思います。払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、1人ひとり、深い内省の中に合って、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません。県民のみなさんには、過去の戦争体験を、人類普遍の平和希求の願いに昇華させ、これからの沖縄県を築きあげることに力を合わせていかれるよう心から期待しています」と。
火炎瓶を投げつけた若者達をも抱き締めるようなお言葉だった。しかも、その「心を寄せ続けていく」とのお言葉通り、皇太子として5回、天皇として6回、合計で11回も、沖縄を繰り返し訪れられた。
ご譲位を控え、天皇として最後のお誕生日を前にした、平成30年12月20日の記者会見でも、わざわざ沖縄に言及されて、次のようにお述べになった。
「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と。
ご譲位後も変わらずに「心を寄せ続けていく」と言い切られていたのだった。そこには、昭和50年のお言葉をご生涯、背負い続けようとされる、上皇陛下の深いお気持ちが込められている。