江戸時代の女性の地位は意外と高かったようだ。以下の通り。
「徳川政権が(女性差別的な)儒教の思想により政治を行い、人々にもその教えに従って生きるよう強制したことはありませんでした。武士についての記録や武士の日記を見ても、彼らが儒教の教えに従って生きているようには見えないのです」
「(儒教が支配的だった)中国では文字通り女性は内にこもって外を歩かず、店先にも女性の姿はありませんでした。それに対して日本の女性が生き生きと活動し、男性と共に戸外で労働し、また芝居見物や物見遊山に出かけて行った様子は、徳川時代が始まる前の宣教師たちの記録、徳川政権下の朝鮮通信使の記録、そして明治の初期に来日した欧米人の記録にあふれていますし、女性自身の書いたさまざまな日記などからも見てとれます」
「江戸時代の女性と夫婦関係の状況を見た上で確認しておきたいのは、当時の女性が自分の財産所有権と離婚の権利を持っていたことです。通常このふたつの権利は、女性の解放を見る際の重要な指標とされています。自分の財産を持つことにより女性は独立して生活できますし、離婚の権利により望まない夫婦関係を解消できるからです。イングランドの女性が『カヴァチャー』(妻の無権利状態)から解放されて自分で財産所有権を持つことができるようになったのは1882(明治15)年でしたし、夫と同じ条件で離婚が可能になったのは
1923(大正12)年でした。これを考えると、江戸時代の日本の女性は、イングランドの女性より解放されていたといえるのです」(中村敏子氏『女性差別はどう作られてきたか』)
これまでの先入観は、大きく訂正する必要がありそうだ。