フランス革命に大きな影響を与えたジャン=ジャック・ルソー。政治社会における人間の自由と平等を訴えた。しかし、その「女性」観については、以下のような指摘がある。
「メアリ・ウィルストンクラフトは『女性の権利の擁護』において、(ルソーの代表的著述の1つ)『エミール』を取り上げ、ルソーの女性観を手厳しく攻撃した。
実際『1人の男性、あるいは人々の判断に服従すること』を女性の運命とし、『不正にすら耐え、夫の過ちをも不平を言わず忍ぶ』ことを早くから(女性に)教えようとするルソーがまず女性解放論者の槍玉に挙げられたのには、理由がある」
「性差別については(同じくルソーの代表作の1つ)『人間不平等起源論』の文明批判の視点はほとんど働いていないのである。…両性の身体構造の差の精神への影響について…その原則は『一方(男性)は能動的で強く、他方(女性)は受動的で弱くなければならない』という命題である。したがって、女性は依存する存在であり、夫をもたないときも世論に依存するから、生涯従順でなければならない」
「女性の依存は、信仰においてさえ、自ら判定する自由を奪う。娘は母の、妻は夫の宗教を奉じなければならない」(福田歓一氏)
18世紀末のフランス革命で普通選挙が実現しても、参政権を持つのは男性に限られた。欧米で女性にも参政権が認められるようになるのは、主に20世紀に入ってから。フランスで、参政権が女性に拡大するのは、1945年まで遅れた。
ちなみに日本では、明治13年(1880年)の地方議員(区町村会)の選挙で、初めて女性も投票できるようになった。これは、“戸主(こしゅ=家族を扶養する義務を負う一家の長)”なら男女に関係なく投票を認めたもので(女性の戸主もいた)、「民権ばあさん」と呼ばれた高知の楠瀬喜多(くすのせ・きた)の奮闘による。
楠瀬は江戸時代、天保7年(1836年)の生まれ。世界の女性参政権拡大の趨勢(すうせい)に照らして、先駆的な出来事だった。江戸時代の平等的女性観が、差別的女性観に立脚した
近代ヨーロッパを“追い越した”事例、と言えるかも知れない。しかし、後に否定され(明治17年=1884年)、結局、わが国で男女平等な参政権が実現したのは、フランスと同年(昭和20年)だった。