大東文化大学名誉教授の工藤隆氏の近刊『女系天皇』(朝日新書)。
太めの帯には「男系男子継承絶対主義は、幻想だ!」という大きな文字が踊る。本書中に以下のような一節があった。
「明治政府が選択した男系男子継承絶対主義は、実は唐風文化模倣によって形成されたものなのに、21世紀初頭現在の女系天皇否定論者のように男系男子継承こそが天皇制の核心だと絶対化しすぎると、もともとは国粋主義のつもりで主張していたはずなのに、実は皮肉にも中国文化偏愛主義になっていることに気づくべきである」と。
いささか刺激的な表現ながら、私が従前「やまとごころ(日本固有の女性尊重、双系の伝統)」「からごころ(シナに特徴的な男尊女卑、男系絶対)」という言葉で整理して来た論点とも重なって、共感できる見方だ。
但し、全体の論述については、(ご本人のフィールドワークに基づく記述には有益な示唆も含むが)先行研究への目配りや史料の扱い方など、一般書とはいえ学問上の手続きにおいて、そのまま支持できない部分を見掛ける。
又、締め括〔くく〕りの「提言」に、「女系継承(婿入り)の許容だけでなく〔血のつながりの無い〕『養子』も可能になる方向に向かうべきであろう」とある部分の後者(皇統に属さない人物の養子)は、とても受け入れられない。これは、「天皇が帯びるアニミズム系文化の象徴性は、実は、『血統』によってではなく、『霊的資質』(中村生雄の用語)の継承によって保証される」という、工藤氏独自の考え方を前提とする。
しかし、そうした観点がどれだけ共有され得るか、疑問だ。そもそも、憲法に「皇位は世襲」(2条)と明記している以上、同条が改正されない限り、血のつながりが“無い”養子は、当然、認められない。
皇位の継承は何故、「世襲」でなければならないか。それは、世襲によってこそ、これまでの天皇との“連続性”を、国民が瞬時に、かつ遍(あまね)く実感し、納得することが出来るからだ。その実感と納得が基礎になって、天皇としての権威や信頼感、敬愛の気持ちなども、次の時代に無理なく受け継がれる(だから、世襲で最も望ましいのは改めて言う迄もなく「直系」継承)。
天皇が「象徴」として求められる超越性も、人知人力による“作為”を超えた、血統という“自然”的、先験的な条件による継承があってこそ、保障され得る。皇位継承の必要条件として「世襲」、「皇統に属する」(皇室典範1条)子孫による継承という大原則は、少なくとも予想し得る将来において、変更されることはあり得ない。