2月11日は国民の祝日の1つ、「建国記念の日」。 この日に毎年、皇居で行われている天皇陛下の「三殿御拝(さんでんごはい)」について、 どのくらいの国民が知っているだろうか(三殿=宮中三殿、賢所〔かしこどころ〕・皇霊殿・神殿)。
この日は元々、「紀元節(きげんせつ)」と呼ばれる祝日だった(明治7年以来)。
ところが、先の大戦に敗れ、被占領下にあった時、圧倒的多数の国民がこの祝日の存続を望んでいた(当時の総理庁の世論調査では81.3%の国民が要望)にも拘(かかわ)らず、GHQの強権によって紀元節は廃止され、平日にされてしまった(昭和23年7月施行の祝日法による)。これに伴い、宮中祭祀の「紀元節祭」も停止されることになった。一部に、昭和20年12月15日にGHQが発した「神道指令」によって停止されたと誤解する向きもあるようだが、事実は上述の通り。
この紀元節祭の停止に当たり、昭和天皇のご意思により、同日に「臨時御拝」が行われることになった。“臨時”と称しながら、毎年、必ずこの日(2月11日)と決まっていた。それまでの「大祭」としての規模よりは簡略化したものの(形式は毎月1日の旬祭〔しゅんさい〕のお出ましと同様)、祭典それ自体は絶やされなかった。
更に、それまでこの日の夜に行われていた「皇霊殿御神楽(こうれいでんみかぐら)」を、4月3日の神武天皇祭(大祭)の夜に移し、継続させた事実も見逃せない。これらの事実から、畏れ多いが、昭和天皇ご自身の高貴なる“抵抗”のご意思を拝することが出来る。その後、幅広い国民の望みが叶(かな)って、昭和41年6月の国会で祝日法が改正され、「建国記念の日」として復活する(翌年が第1回)。
祝日法に盛り込まれた同祝日の趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」。時代が平成に移ると、上皇陛下は「臨時御拝」を通常の祭典に戻されることを希望されたようだ(陛下の側近に仕える侍従職より祭祀に奉仕する掌典職にご下問あり)。
だが、事情は不明ながら、そのご希望は実現せず、呼称はさすがに「三殿御拝」と改められた(専門家でも、今も臨時御拝のままと思い込んでいる人がいるが、既に平成から変更されている)。今上(きんじょう)陛下は勿論(もちろん)、同御拝を大切に継承されている。有難い。