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執筆者の写真高森明勅

「建国記念の日」3つの視点(1)


「建国記念の日」3つの視点(1)

2月11日は「建国記念の日」。


「建国をしのび、国を愛する心を養う」祝日だ。以下、3つのポイントを銘記したい。


①この日は、私たちの先行世代が「取り戻した」祝日だ、ということ。被占領下にあって、国民の圧倒的多数はこの日(当時の名称は「紀元節」)が祝日として存続することを望んだ。


総理庁(後に内閣府に統合)の世論調査で81.3%という高い数字だった。しかし、GHQの強権によって廃止を余儀なくされた(昭和23年7月)。つまり、この祝日は一旦、“奪われた”事実がある。だが、国際法上、独立を回復し(同27年4月)、幅広い国民の要望により

祝日法が改正され、「建国記念の日」が設けられることになった(同41年6月)。


但し、それを何月何日にするかは、反対派に配慮して、政令に委ねられた。他に4月3日(聖徳太子の十七条憲法が定められた日)、4月28日(サンフランシスコ講和条約発効の日)、5月3日(憲法記念日)、その他(立春など)の候補が挙げられていた。今から振り返ると、どれも見当外れも甚だしい、と言う他ない。


結局、政令(同年12月)で「2月11日」とされたのは当然だった。この間、昭和天皇の弟宮でいらっしゃった三笠宮が、「反対陣営の英雄」であるかのような役割を果たされるという、残念な出来事もあった(昭和天皇の2月11日の「臨時御拝(ごはい)」をどうお考えだったのか)。


この祝日には、被占領下に奪われた日本人の歴史を取り戻そうとした、当時の国民の強い“願い”が背景にある。それを忘れてはならない。(続く)

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