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執筆者の写真高森明勅

祝日と天皇


祝日と天皇

現在、「国民の祝日」は16日ある。これらのうち、「天皇」に関わる祝日が意外と多い。具体的には以下の通り。


①「元日(がんじつ)」。

これについては普通、「元日は宮中の年中行事であった元日節会(がんにちのせちえ)に由来する」(岡田芳朗・阿久根末忠編著『現代こよみ読み解き事典』)とされる。確かに、律令法にこの日(正月1日)を「節日(せちにち)」とする規定があった(雑令〔ぞうりょう〕「諸節日」条)。更に、大化2年(646年)の元日に、天皇に新年の祝賀を表す儀式(朝賀、ちょうが)が行われた記事が、『日本書紀』に載っている(朝賀の史料上の初見。

現在、皇居で行われている「新年祝賀の儀」〔国事行為〕の源流)。こちらを重視すれば、朝賀に「由来する」とも言えるだろう。いずれにしても「天皇」に繋(つな)がる。


②「成人の日」。

今は1月第2月曜日とされている(平成12年から)。しかし、元は15日だった。何故この日になったのか? 一般的には「元服(げんぷく=成人になったことを示し祝う儀式)が正月に行われた古来の例もあり…若年(じゃくねん=若者)の成育を祝うには、生成発展の新年が相応(ふさわ)しい」(受田新吉『日本の新しい祝日』昭和23年)と説明される。一方で、明治元年“1月15日”(旧暦)に明治天皇が元服の儀式を挙げられていた事実がある(そのご様子を描いた壁面が明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に掲げられている)。これは明治天皇の元服自体が「古来の例」に拠(よ)ったとも言えるが、この日付の一致は見落とせない。


③「建国記念の日」。

これは改めて説明するまでもない。初代・神武天皇が橿原(かしはら)の地で即位した日として『日本書紀』に記されているのに基づく。


④「天皇誕生日」。

もとより今上(きんじょう)陛下のお誕生日。「天皇」との繋がりが最も“直接的”で、深い。


⑤「春分の日」・⑥「秋分の日」。

これらは、それぞれ春分・秋分に当たる日を祝日としたもの。だから一見、天皇とは無縁そうだ。しかし、実はそうではない。と言うのは、祝日法が施行されるまで、これらの日は

「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」と呼ばれる“祭日”だったからだ。皇霊祭は皇室のご先祖祭り(民間行事でも“お彼岸の中日”として先祖供養を行う)。「大祭」とされ、現在も(当日を祭日とする呼び方は無くなったものの)厳粛に執り行われている(昨年は両祭共、ご療養中の皇后陛下もお出まし)。


⑦「昭和の日」。

これも言う迄もない。昭和天皇のお誕生日だ。当初、政府は「みどりの日」という祝日にした。だが、昭和天皇と昭和の時代に因(ちな)んだ祝日に改めるべきだという国民の声が高まり、平成17年に祝日法が改正され、同19年から名称と趣旨が変更された(みどりの日は5月4日に移った)。私自身、この時の取り組みに、いささか関わらせて戴いた。


⑧「海の日」。

明治天皇が明治9年(1876年)が東北地方を巡幸された時、青森から北海道の函館経由で横浜港にお帰りになったのが“7月20日”だったのに由来する。なので、初めは同日とされていた(平成7年制定、翌年施行)。しかし、平成15年以降、7月第3月曜日となった。


⑨「文化の日」。

明治天皇のお誕生日。明治時代には「天長節(てんちようせつ)」と呼ばれていた。大正時代は平日だったが、国民の要望により、昭和2年から「明治節」として復活。祝日法で今の名称に変わった。「明治の日」への改称を目指す動きがある。


⑩「勤労感謝の日」。

祝日法の前は、「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれる祭日だった。新嘗祭は、その年の収穫に感謝する、皇室の恒例祭祀で最も大切なお祭りだ。


なお他に、「敬老の日」について、聖徳太子が四天王寺(大阪市)に悲田院(ひでんいん、孤児や病者・貧窮者を収容・救済した施設)を設立した日に因むとか、元正(げんしょう)天皇が美濃国(みののくに)にお出ましになって美泉(びせん、素晴らしい泉)をご覧になり、「養老」と改元された事実から派生した、“養老の滝”伝説などと結び付ける見方もあるようだ。しかし、確かな根拠は無い。


以上、年間の祝日の半数以上(3分の2近く)は、何らかの形で天皇に繋がる。でも、殆(ほとん)ど見逃されているのではないか。

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