以前から、旧宮家系国民男性が新たに皇族の身分(皇籍)を取得することを可能にする制度改正が、一部で提案されている。多くの難題を抱えるが、「男系」限定をいつまでも維持しようと考えている人々が期待しているのは、東久邇(ひがしくに)家の男性のようだ。
「女系」では、明治天皇・昭和天皇とも繋(つな)がり、現在の直系の血筋と血縁的に近い、というのが理由らしいから、いささか驚く。ご都合主義、ダブルスタンダードという印象を抱いてしまう。
「女系」で言えば、女性天皇や女性宮家のお子様の方が、血縁的に遥かに近くなることは、改めて言う迄もない。
しかし、東久邇家については、その第1代・稔彦(なるひこ)王が被占領下に率先して、自発的な「臣籍降下(しんせきこうか、皇籍離脱)」論を唱えられた事実(昭和20年11月10日)が、広く知られているはずだ。
しかも、それは急な思い付きではなかった。
大正末年の「稔彦王帰国拒否事件」の際も、既に臣籍降下の希望を述べておられた(この時は、稔彦王の余りにも常軌を逸した行動ぶりに、宮中首脳部が“懲戒的な”臣籍降下がを検討した局面もあった)。稔彦王は以下のような考え方を持っておられた。
「伏見宮系の傍系皇族は現在の直系とは血縁が遥かに遠く、皇室と親族とは言いがたいから、全て臣籍降下するのが当然である」(「倉富勇三郎日記」昭和2年1月31日条より意訳)と。
東久邇宮稔彦王が、「皇室とは親族とも云(い)ひ難く」(原文のまま)と言われた“伏見宮系の傍系皇族”とは、まさに被占領下に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家、いわゆる「旧宮家」に該当する。
そこから更に世代を隔てて、血縁のより離れたご子孫を、一般国民の仲間入りをされて75年近くも経過して、今更(ご結婚という人生の一大事も介さないで)“そのまま”皇族の身分を与えるような方策に対して、もし稔彦王がご存命ならば、一体どのようなご感想を持たれるだろうか。
想像するのは難しくあるまい。