改めて言う迄もないかも知れないが、政府は有識者会議を設けたくなかった。
「政府はこれまで、非公式に学識経験者らに接触し、それぞれの意見を聞き取ってきた。これを踏まえ、女性・女系天皇を実現するための法整備は見送ることにした。公の場で議論を行う有識者懇談会も設けない方向だ」(読売新聞、令和2年2月16日付)と。
「公の場で議論を行う」ことになれば、皇位の安定継承を目指す本格的な検討は避けられず、そうすると「女性・女系」について封印する訳にはいかなくなる。
小泉純一郎内閣の有識者会議報告書を受けた法整備が、逆風を受けて頓挫した経験が、政府にとってはトラウマになっている。だから、退位特例法の附帯決議があるにも拘(かかわ)らず、先延ばしを続けて来たし、極力、真正面からの議論からも遠ざかろうとして来た。
水面下で画策した結果、逃げ切り策として捻(ひね)り出したのが“皇女プラン”だった。
「政府は年内(令和2年)にも皇女の創設案を大島衆院議長に報告する方向で調整している」「女性皇族が結婚後も皇室にとどまる『女性宮家』の創設は見送る方向だ」(読売新聞、令和2年11月24日付)と。そのプランが事実上、潰されたので、遂に有識者会議を
設ける以外に手は無くなった。
その経緯はきちんと見届けておく必要がある。