日本国憲法は生きているか、と問いかけた小室直樹氏の提起
5月3日のゴー宣道場のテーマは「憲法は今、生きているか」。このテーマに触れて小室直樹氏の『痛快!憲法学』(平成13年、集英社)を思い起こした人がいるかも知れない。
と、言っても小室氏の名前すら知らない人もいるだろう。念の為に同書に掲げられている同氏のプロフィールを引いておこう。
「1932年、東京生まれ。京都大学理学部数学科、大阪大学大学院経済学研究科を経て、フルブライト留学生としてアメリカに渡る。ミシガン大学大学院で計量経済学、ハーバード大学大学院で心理学と社会学、マサチューセッツ工科大学大学院で理論経済学を学ぶ。帰国後、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程を終了。東京大学法学博士。著書多数。1980年に発表した『ソビエト帝国の崩壊』において、ソ連崩壊を10年以上も前に予言したことは有名。近著に『資本主義のための革新』『日本人のための宗教論』など」。
まことに華麗が学歴。しかし、生涯の殆どを在野の研究者として貫いた(晩年の4年余りのみ特任教授)。橋爪大三郎氏、宮台真司氏など多くの学者・知識人に影響を与えている。 かなり異色の学者だった。
同著も、同氏らしい極めてユニークな憲法書。冒頭、「憲法の死」について強く警鐘を鳴らしている。以下の通り。
「憲法を論じていくうえで、何をおいてもまず最初に検討しなければならない大問題があります。…日本国憲法は生きているのか、死んでいるのか」
「憲法以外の法律、たとえば刑法や民法なら…法律は1度作られたら、それが議会で廃止されたり、最高裁判所で違憲判決を下されたり、判例変更されたりしないかぎり、生きつづけます」
「ところが、これに対して憲法は違います。憲法は公式に廃止を宣言されなくても死んでしまうことがあるのです。その最たる例は、ドイツのワイマール憲法でしょう。…このワイマール憲法は当時、『世界で最も進んだ憲法』と言われていました。たしかに、その条文は時代の先端を行くものでした。国民主権が導入され、大統領は直接選挙で選ぶことになりましたし、また基本的人権についても、労働者の『社会権』が保障されるなど、ひじょうに先進的な内容だと評価が高かった。『ドイツの憲法こそが20世紀の憲法の手本だ』などと言われたものです」
「ところが、そのワイマール憲法はあっさり死んでしまいます。その下手人というか、主人公になったのは、言うまでもありません、ヒトラーです」
「といっても、ヒトラーはワイマール憲法にいっさい手を触れていません。そもそもヒトラー率いるナチスは、政権を取るまでワイマール憲法に従って行動しています。ナチスは憲法に従って国会選挙で勝利を収めて、1932年、第1党になります。ヒトラーが1933年1月30日、首相に就任したのも憲法規定に基づいた、合法的なことでした。つまり、このときはまだワイマール憲法は生きていたと言えるでしょう。では、ワイマール憲法はいつ死んだのか」
「それは1933年3月23日のことである、というのが多くの憲法学者の意見です。この日、ドイツの議会でひじょうに重要な法案が可決されました。それが『全権委任法』(授権法、翌日公布・施行)です。この法は、法律を制定する権利、つまり立法権を政府にすべて与えるというものでした。…この全権委任法によって議会は立法権をヒトラーに譲り渡してしまった。この結果、彼は自分の望むとおりに法律を作り、それを執行できるようになりました。 この全権委任法の後ろ楯があるから、彼は『合法的』にドイツの独裁者になれたというわけです」
「さて、こうした状況に対して、憲法学者はどう考えるか。ここが大切なところです。憲法学者は『全権委任法はワイマール憲法違反だから、無効である』とは考えない。実際のところ、違憲だろうが、現実にこの法律によってヒトラーは独裁者になっているのですから、そんな議論は無意味です。ですから、憲法の専門家は『1933年3月23日をもって、ワイマール憲法は死んだ』と考える。ヒトラーはワイマール憲法を1度も廃止していない。けれども、この日、ワイマール憲法は実質上、廃止されたと見るのです」
「憲法が死んだりするのは何もナチス・ドイツのような独裁国家ばかりではありません。民主主義が行われているように見える国でも、憲法が死ぬことは珍しいことではない」
重い問題提起だろう。 果たして今、「日本国憲法は生きているのか、死んでいるのか」。護憲・改憲論の前提として、この問いに向き合う必要がある。