わが国における文化人類学の確立に大きな貢献をした石田英一郎。
神話的な世界観を巡り興味深い指摘をされていた(「2つの世界観」『東西抄』所収)。
2つの世界観
「最近の二千数百年間の人類の思想や歴史に、支配的な影響をあたえた主要な宗教をとりあげて、
それらの背景となった世界観ないし世界像を分類してみる。
すると、どうもそれらは、大ざっぱに見て、対蹠的な両極をめぐる2つのカテゴリーに分かれざるをえないようだ」
「2つの世界観の中の第1の流れをくむものは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のグループである」
「いま、これらの宗教に“本来”特徴的と考えられる宇宙や神の観念を通観してみても、そこには次のようないちじるしい共通点が見いだされてくる」
「1 唯一の超越神 神は宇宙の上に、宇宙とは別個に、宇宙に先立って存在する。この超越的な神は唯一つであり、至高絶対である」
「2 創造された宇宙 宇宙は宇宙に先立って存在するこの至上神によって創造されたものである」
「3 不寛容と非妥協性 この唯一の神のほかに神はない。
この神を信仰する宗教は、ただ1つありうるのみで、それは“諸宗教の中の1つ”ではない。ここに異教の存在を許容しえない不寛容と、異端に対する激しい憎しみが正当化される」
「4 男性原理 右の最高神が人格化して表象される時には、それは女性ではなくて男性、母ではなくて父であった。そこには万象を産んだ母祖神とはほど遠い、峻厳な家父長的性格が目立つ」
「5 天の思想 宇宙の上に存在する超越的な至上神は、天上にあるものとして表象されるのを常とする。祈りに際しても『天にますますわれらの父よ』と呼びかけられる。これらの宗教において常に前面に出るのは、大地とは対照的な天の観念であった」
第2のカテゴリー
「第2のカテゴリーに属する世界観というのは、ヒンドゥー教・仏教・道教、そして南ユーラシア大陸の多くの古代宗教や民間信仰の中に、その系統の見られるもので、上記の第1のそれと、まさに対照的であったようだ」
「1 所与の存在としての宇宙 世界は世界を超越した神によって創造されたものではない。
たとえ生成変化の過程をへても、当初から何らかの形で与えられた存在として前提されている」
「2 宇宙の中の神々 神は単一でもなければ宇宙の外にあるものでもない。
人間とともに宇宙の中にある。この世界観は、第1の峻厳な一神教に対して、多神教的、アニミズム的であり、しばしば汎神論に傾く。神々と人間はそれほど隔絶的でない」
「3 寛容と融通性 神々の複数性と人間への近さは信仰の相対性とつらなる。
そこにはただ1つの真の宗教という観念はきわめて薄い。
異教異端に対しても寛容である。
ユダヤ―キリスト―イスラム教の世界では想像もつかぬ神仏習合などという現象も容易に行われる」
「4 女性原理 神々の世界では、女神の地位が必ずしも低いものでないばかりか、多かれ少なかれで古代オリエントのそれに共通した原始母神的な信仰の痕跡が認められる。…」
「5 大地の思想 原始母神の観念は“母なる大地”につらなる。
大地への親しみは、何らかの形でこの世界観の中に跡づけられる。…」
日本神話のユニークな特色
ここに提出されている、世界観の対立を巡る“作業仮説”を一先ず踏まえると、日本神話のユニークな特色がより鮮明に浮かび上がる。
と言うのは、わが国の神話においては、複数の神々を前提とし、最高神が女性(天照大神)であることから、明らかに後者、「第2のカテゴリー」に属しているように見えながら、天照大神は“母なる大地”を体現する神格ではなく、逆に「天上」(高天原)の主宰神として表象されているからだ。
一方、大地を支える地下の世界「根の堅州国」の主宰神はスサノオの命(みこと)、つまり男性神とされている。
先に整理された2つの世界観の“第5項目”において、はっきり逆転現象が認められる。
極めてユニークな特色と言えるだろう。
古代エジプトの神話では、女性神のヌトが大地を覆う空、男性神のゲブが大地として表象されていたようだ(大林太良ほか編『世界神話事典』)。
しかし、それ以外にはほとんど類例を見ないのではあるまいか。
少なくとも、日本神話において女性神が“天上の主宰神”とされていたことは、古代日本で女性の社会的な地位が決して低くなかった、むしろ高かった事実を反映していると見て、さほど的外れではないだろう。
古代日本において女性尊重のエートスが認められることは、他の諸事実からも確認できる(『「女性天皇」の成立』第3章を参照)。それらとも整合的だ。