これまでの皇位継承の実例を振り返ると、皇位を継承した皇族(皇親)のほとんどは天皇との
血縁が1世、つまり天皇のお子様(皇子=男女を含む)だったことが分かる。
具体的には以下の通り。
先ず初代・神武天皇から第16代・仁徳天皇までの系譜は、残念ながらそのまま信用できない。
よって、一先ず除外する(ちなみに、この間で1世でなかったのは第14代・仲哀天皇が2世〔第12代・景行天皇の孫〕という1例だけ)。現在の歴史学界では、世襲王権の成立は第26代・継体天皇の頃から、との見方が有力だ。
しかし、ここでは一応、第17代・履中天皇以降の実例を取り上げる。
そうすると、対象となる今上(きんじょう)陛下に至る歴代110代プラス北朝5代の合計115代のうち、1世でなかったのは僅か14代だけだった(北朝の天皇は全て1世のみ。なお第44代・元正天皇は“男系”では第40代・天武天皇の孫=2世だが、皇位継承の時点で第43代・元明天皇の娘、つまり継嗣令〔けいしりょう〕に規定する「女帝の子」=1世)。
そのうち、第35代・皇極天皇と第37代・斉明天皇(第30代・敏達天皇の曾孫=3世)は同じ方が重ねて即位=重祚(ちょうそ)されている。よく知られている第26代・継体天皇が、応神天皇から5世(!)の子孫だったのが唯一の血縁が飛び離れて遠かった事例。
その為に王朝交替説も唱えられた。
継体天皇の即位については、それまでの直系の皇統を受け継ぐ手白香皇女(たしらかのみめひこ、第24代・仁賢天皇の娘=1世)との婚姻が決定的な意味を持った(この辺りの私見は拙著
『日本の10代天皇』幻冬舎新書など参照)。他は全て2世(天皇の孫)か3世(天皇の曾孫)のみ。先の115代中、2世が8例、3世が5例(先に触れた重祚の事例も含まれる)という内訳だ。
そもそも律令制下の原則(継嗣令の規定)では、天皇からの血縁が4世までを皇族(皇親)と位置付け、それより血縁が遠くなると皇族では“ない”とされていた。
勿論、前近代にも世襲親王家の制度が行われ、明治の皇室典範以来は永世皇族制が採用されている。しかし一般的に言えば、当事者が天皇としての資質や心構えなどを受け継がれる上で、天皇との血縁が近い方がより望ましいことは否定できないだろうし、国民の側としても、天皇との血縁が近ければ近いほど、天皇としてのお立場がしっかりと継承されている事実を、直感的に納得でき、幅広く受け入れられやすいはずだ。
勿論、皇位を継承されるのは、現に皇族でいらっしゃる方に限る(継体天皇も同時代〔503年〕の隅田〔すだ〕八幡神社・人物画像鏡の銘文に「王」とあった)。
念の為に付言すれば、ずっと以前(昭和22年=1947年)に皇族の身分を離れたいわゆる旧宮家系の人々は、「男系」の血筋で天皇から20世以上(!!)という桁違いな遠さだ。