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執筆者の写真高森明勅

皇女和宮を持ち出した有識者会議報告書の呆れた時代錯誤ぶり


皇女和宮を持ち出した有識者会議報告書の呆れた時代錯誤ぶり

無理筋で現実味のない皇族数の確保策でお茶を濁した有識者会議報告書。

その知的水準を測る一例として、最も基礎的であるはずの「皇族」という概念を巡る混乱ぶりを取り上げておく。


「皇族」概念、原則上の転換


「皇族」という概念は、前近代と近代以降で違っている。

大まかに整理して示そう。


前近代の場合(しばしば「皇親」と呼称された)は以下の通り。


①女性皇族が皇族でない男性に嫁いでも皇族の身分を失わない。

②皇族でない女性が男性皇族に嫁いでも皇族の身分を取得できない。


ここでは、血筋だけが皇族の身分を決定し、結婚によっても身分は変更せず、(皇族同士の結婚でなければ)本人と配偶者の身分は“別”、という「原則」が認められる。


これに対して、近代以降の場合は以下の通り。


③女性皇族が皇族でない男性に嫁ぐと皇族の身分を離れる。

④皇族でない女性が男性皇族に嫁ぐと皇族の身分を取得する。


こちらでは、血筋に関わらず結婚によって身分が変更(皇族→非皇族、非皇族→皇族)され、本人と配偶者の身分は(皇族と皇族でない者の結婚でも)“同じ”、という「原則」に変わった。

大きな転換だ(但し、もっぱら男性の身分に合わせるので「男尊女卑」的)。

当然、「①と②」、「③と④」はそれぞれセットで機能する。

以上を予備知識として報告書を読んでみよう。


前近代の皇女和宮の例が根拠?


「(有識者会議の提案として)制度を改めて、内親王・女王は婚姻後も皇族の身分を保持することとし(但し結婚相手が皇族でない場合、その相手の身分はそのまま)、婚姻後も皇族として様々な活動を行っていただく…


これは、明治時代に旧皇室典範が定められるまでは、女性皇族は皇族ではない者と結婚しても身分は皇族の身分のままであったという皇室の歴史とも整合的なものと考えられます。


和宮として歴史上も有名な親子(ちかこ)内親王(第120代・仁孝天皇の皇女)は、徳川第14代将軍家茂との婚姻後も皇族ままでありましたし、家茂が皇族となることもありませんでした」


これは驚くべき発言ではあるまいか。


皇女和宮の婚姻はもちろん、前近代の「①②セット」の時代の例(この場合は①)だ。

それを根拠に、近代以降の「③④セット」の時代に無理やり当てはめよう(具体的には③→①への変更)としている。呆れた時代錯誤と言う他ない。


時代錯誤による不整合


③→①への変更は、上記の「原則」そのものの大転換(逆転換?)だ。

ならば、今の皇后陛下・上皇后陛下・各親王妃殿下方が④によって皇族の身分を取得された現行制度の在り方も、根本から見直して、改めて②に変更しなければ整合性が保てない。


しかし、歴史的条件が全く異なる現代社会に今更「①②セット」を持ち込んだら、大きな混乱を招き、正常に機能することは期待しがたいだろう。


何より(そのプランでは国民女性が男性皇族の配偶者として“国民”の身分のまま皇室に入り、女性皇族が国民男性の配偶者として“皇族”の身分のまま一般社会の中に入るから)「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であることが規範として要請されている天皇及び皇室のお立場と、憲法が国民に保障する権利・自由の双方が、大きく損なわれる結果になる。


本人と配偶者の身分は同じに


報告書のように、女性皇族が婚姻後も皇族の身分に留まる制度を新しく設けるなら、近代以降の「原則」に即して、配偶者も“同じ”皇族の身分を取得できるようにしなければ、制度として整合性が取れない(それだと、結果的に男尊女卑的制度を是正し、“男女共に”皇族たる方の身分に合わせることになる)。


前近代と近代以降の「原則」の違いにも気付いていない時代錯誤な提案を、歴史の“つまみ食い”で正当化できるとでも勘違いしたのか、報告書では「皇室の歴史とも整合的」などと、平然と述べている。

こんなセリフは、「皇室の歴史」を体系的にきちんと勉強してから口にすべきだった。


中学生レベルの断片的な歴史知識しか持ち合わせないのなら、皇室の将来を左右しかねない報告書など、執筆すべきではなかろう。

こんなレベルの報告書を国会での議論の土台にはできない。

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