意外と知られていない(又は忘れられている)ようだが、上皇・上皇后両陛下が皇室にもたらした大きな変革の1つは、親子が「同居」する生活を始められたこと。
昭和天皇も、その前の大正天皇も、“親子同居”の暮らしを強く望まれながら、結局は実現できなかった。遠い傍系の伏見宮家などは別として、直系の血筋に繋がる宮家としては、昭和天皇の一番下の弟宮であられた三笠宮家がその先駆けとなった。上皇陛下は内廷においても、親子同居の暮らしを始められた。
これは画期的な出来事だった。
画期的な「親子同居」
上皇陛下ご自身は昭和8年にお生まれになって、僅か3年3カ月でご両親から引き離されておられる。現代の感覚では随分と非人道的な話に思えるが、元々は京都の公家の風習だったらしい(宮本常一氏)。
上皇陛下がお生まれになった当時、宮中では、親子が一緒に暮らすと厳しい躾ができない、親子愛・家族愛などは私的な感情に過ぎず、むしろ公務の妨げになるから、親元から離してお育てするのが良い―という考え方が、まだ影響力を根強く持っていた。
その後、上皇陛下は昭和34年に上皇后陛下とご結婚になるまで、“家族での生活”というものをご存じなかった。ご結婚の翌年、天皇陛下がお生まれになり、皇太子とそのお子様が親子で同居される(乳母制度も廃止)という、皇室にとって新しい暮らしの形がスタートした。
この親子同居という生活スタイルによって、皇室における「直系」の意味は、より重大化したと言える。何しろ、天皇陛下の血筋を継ぐ次の世代の方が、陛下ご自身から直接、薫陶を受けてお育ちになるのだから。
敬宮殿下への信頼と期待
「愛子は、昨年12月に成年を迎えました。
成年に当たっての感想や成年の行事に臨むに当たり、緊張もあったと思いますが、何とか無事に終えることができ、私たちも安堵しました。
いつの間にか二十歳という年齢を迎え、大人の仲間入りをすることになったことを感慨深く思いました。日頃から、多くの人々に助けられ、支えられているということに愛子が感謝の気持ちを持っていることを親としてうれしく思っています」
「印象深い思い出については、学校の水泳の授業で、小さい頃にはビート板を使ってプールで短い距離を泳いでいた愛子が、女子中等科時代、静岡県の沼津の海で3キロメートルの遠泳ができるようになった時や、中学の修学旅行で広島を訪れた際に強い衝撃を受け、平和への思いを文章にまとめた時などに成長を感じうれしく思ったことを覚えています」
「愛子は、家族との時間を大切にしてくれており、愛子と3人でいると、私たちの団欒は、笑いの絶えない楽しいものになっています」
「今後、成年皇族として、思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、一つ一つ務めを果たしていってもらいたいと思います。その過程で、私たちで相談に乗れることは、できる限りしていきたいと思います」(天皇陛下のお誕生日に際してのご会見でのご発言から)
今、天皇・皇后両陛下から直接、最も多くのことを学んでおられる敬宮(としのみや、愛子内親王)殿下への、陛下のご信頼とご期待が伝わって来る。
追記
敬宮殿下が先頃、成年を迎えられたことに関わる記者会見が、3月17日に予定されているとの報道に接した。心して拝聴したい。