3月12日、高森稽古照今塾はハイブリッドでの講義。
毎回、教科書に入る前に、その時々で私が関心のある話題をいくつか取り上げる。
今回は、その1つとして『祖国と青年』3月号の記事を取り上げた。
現在も続いている皇居勤労奉仕の先駆けとして、宮城県栗原市(当時は郡)の有志によって被占領下に結成された「みくに奉仕団」。その第1回勤労奉仕(昭和20年12月8日~10日)に参加された、ほとんどの唯一の存命の方と思われる佐藤吉勝氏(96歳?)へのインタビューを元にした有益な記事だ。
執筆者は小野寺崇良氏。
これまで知られている関連資料も読み込んだ上での直接取材であり、奉仕団の地元に建てられた「みくに奉仕団発祥の地」碑(奉仕参加者の名前を彫り込んでいる)の写真なども貴重だ。
その記事の中で、奉仕団の参加人数が61名となっている。これは、奉仕団を受け入れた宮内省大臣官房総務課長、筧素彦氏の証言(『今上陛下と母宮貞明皇后』)や宮内庁書陵部編『昭和天皇実録』が、記録係として参加された木村毅氏を除き62名としているのと、わずか1名ながら食い違っている。直接、参加者に取材した記事だけに気になった。
しかし、編集部に連絡したものの、執筆者ご本人とは繋がらなかった。
そこで未確認のまま、塾でこの記事を紹介した。
すると偶然、受講生の中に執筆者の知り合いがいて、直ちにご本人に連絡して、確認結果を塾の終了後に私に報告してくれた。
それによると、佐藤氏の証言ではこれまで第1回奉仕の参加者としてカウントされていたAY氏(報告では実名)は、実は第1回目には参加しておらず、2回目の団長を務められたという。
それで61名としたらしい。
勿論、80年近くも昔のことなので、佐藤氏の手元に当時の確かな記録が残っているのか等、裏取りも必要だろう。しかし、かなり具体的な証言であり、この種の記憶は意外と長く鮮明に残るので、ひょっとしたら『昭和天皇実録』の記述は訂正が必要になってくるかも知れない。
自発的かつ機敏に対応してくれたMさん(女性)と、丁寧に追加説明をしてくれた小野寺氏に感謝する。
なお、この日の塾では、私の65歳の誕生日が近いので、受講生から誕生日プレゼントとして花束、わが郷里・岡山県の銘酒「櫻室町 赤磐雄町 80%純米」、備前焼のぐい呑みセットを
貰った。みんな有難う。
3月13日、ゴー宣道場。ゲストは衆院議員の石破茂氏と大阪市立大学名誉教授の井上正康氏。
テーマは皇位の安定継承を巡って。
会場の熱意が伝わり、私としてもいささか思いを込めて討議に臨んだ。
漫画家の小林よしのり氏が「もはや残された時間は無い」と繰り返し危機感を訴えておられたのが、最も印象に残っている。
いつも、設営・運営をボランティアとして全面的に担ってくれている皆さんに、深く感謝する。
今年は、恐らくゴー宣道場が始まって以来、最も大切な1年になるはずだ。
私も微力を尽くしたい。