引き続き亀井静香氏『永田町動物園』より。
「橋本聖子の義兄・高橋辰夫は、俺の政治家人生のなかでも特に印象に残る、豪傑だった。…
容貌魁偉だが、知的な匂いは一切しない、そんな男だった。(銀行法改正の)法案を通すには、自民党の金融問題調査会を通らないといけないため、大蔵省(当時)の銀行局長が俺に説明に来た。
…そのうち、向こうのペースで話がどんどん前に進んだが、突然、高橋が面白いことを言い出した。
『お前たちな、この銀行法と、子供銀行と、血液銀行の違いを詳細に教えてくれ』。 意味不明で、とんでもない話だ。 銀行局長は唖然として言葉は失った。
すると高橋は、ここぞとばかりに声を荒げて、『ダメだ。審議はしない。拒否だ』と言った。 さしもの大蔵省銀行局もお手上げになった。 『修正に応じます』と言うから、結局、全銀協(全国銀行協会連合会)と修正協議することになり、見事に修正させた。
…高橋は、頭の回転はよくなかったが、だからこそ、大蔵省の銀行局というエリート官僚を相手にしても、アサッテなことを言って困惑させられたのだ」
「(梶山静六氏が)政治の師と仰ぐ田中角栄がロッキード事件に巻き込まれたときのこと。 俺がまだ警察官僚だった’76年7月、角栄さんは逮捕された。その3週間後、保釈される角栄さんを、梶山さんは真っ先に迎えに行った。『ヤクザだって親分が出所するときは迎えに行く』と言ったのだ。だが、その年の12月には自身の総選挙も控えていた。
国民から非難されていた田中角栄を迎えに行けば、選挙に影響することがわかっていたはずだ。 しかし、梶山さんの頭には、保身という考えはなかったのだ」
「参議院自民党を束ね、ドンと呼ばれていた当時の村上(正邦)さんは、なぜそんなに力を持っていたのか。それは毎晩、昨日は赤坂、今日は神楽坂、明日は向島…と、あちこちの議員に飲ませ食わせして、面倒をみていたからだ。自分は全然飲めないのだが。そして選挙となれば物心両面で面倒をみる」(続く)