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執筆者の写真高森明勅

上皇陛下の習近平ご引見は非礼極まる亀井静香氏のゴリ押し


天皇陛下と習近平のご引見

亀井静香氏『永田町動物園』から。これで打ち止め。


「習近平と天皇(のちの上皇)陛下の会見を実現させたことも思い出深い。

…海外の要人が天皇陛下との会見を希望する場合、1カ月前までに申請するルールがある。しかし中国側から打診されたときは、すでに来日まで1カ月を切っていた。

当時の宮内庁長官の羽毛田信吾にも批判されたが、中国側から泣きつかれた俺は羽毛田に電話して直談判した。



『しかしなあ、おめえさんも役人だろ。役人は上司の命令があればやらざるを得ないだろ』と言った。すると、『はい、そうです』と応じるので、俺はここぞとばかりに『今からお前の上司、官房長官の平野(博文)に電話させる。だから飲んでくれよ』とたたみかけた。


…俺はすぐに平野に電話して『羽毛田に命令してもらえないか』と伝えた。これで天皇陛下に習近平と会わせることができた。だから俺は、習には大きな貸しがある」



「当時の俺は(埼玉県警)捜査2課長としてあらゆる事件を手がけ、検挙数も多かったので、埼玉県庁が震え上がっていたのだ。…今だから言えるが、当時俺は県庁から裏金をもらっていた。

捜査2課のカネがなくなると県の総務部長に電話して『カネがないんだ。ちょっと出してくれや』と言った。

すると部長は何千万円単位のカネを寄越した。

恐喝みたいなものだ。


俺はそれを自分のポケットに入れるわけではない。捜査は5人一組の班単位でやっていたから、成績を上げた班には休暇を与えたうえ、その裏金を使って海外旅行に行かせた。するとみんな張り切り、休日返上で内偵し、容疑者を見つけては捕まえる。検挙実績も上がっていった。


課長の俺はというと、夕方から西川口のソープランドに入り浸っていた。捜査2課担当の…記者たちは、好きな女性と浴室に消えていく俺を羨ましそうに見ているから、『じゃあお前もいけ』とカネを払ってやった。我ながらひどいが、そんなことばかりしているから、俺のことはどの記者も書けなかった」



「(桜井新は)もともと新潟では田中角栄さんの後援会『越山会』の青年部長をしていた。それなのに角栄さんに反旗を翻して、同じ旧新潟3区から無所属で立候補した。


俺が初当選した’79年の総選挙である。僅差で落選したものの、翌年行われた総選挙で初当選を果たす。ロッキード事件後だったとはいえ、角栄さんの力は依然として絶大だった。

そんな相手と真っ向から戦って当選してきたのだから、恐れ知らずといっていい。あの角栄さんと喧嘩するというのは、並大抵の度胸ではない。凄まじい男だ」

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