top of page
  • 執筆者の写真高森明勅

敬宮殿下が揺るぎなく受け継がれる「直系」の皇統と精神


敬宮愛子内親王

昭和天皇


「自分はいかになろうとも、万民(ばんみん)の生命(せいめい)を助けたい」

昭和20年8月14日、ポツダム宣言の受諾による終戦の聖断を下された時のご発言から(下村海南『終戦秘史』)。



「さしのぼる

朝日の光

へだてなく

世を照らさむぞ

わがねがひ(願い)なる」

昭和35年の歌会始での御製(ぎょせい)(宮内庁侍従職編『おほうなばら  昭和天皇御製集』)



「皆が心配してくれてありがとう」

昭和63年9月27日、ご吐血後、初めて藤森昭一・宮内庁長官の拝謁を受けられ、国民のお見舞い記帳の状況等についてお聞きなって、上記のお言葉を国民に伝えるよう藤森長官に託された(『昭和天皇実録』第18巻)。




上皇陛下


「(昭和63年10月8日)皇太子(上皇陛下)は宮内庁長官藤森昭一に対し、天皇の御病気に伴い

全国で催しや行事の自粛が相次いでいる状況に関して、国民のあたたかい心に感謝しているが、

国民生活に深い影響が出ることは、天皇のお心に沿わないのではないか、との過度の自粛を懸念する考えを伝える」(『昭和天皇実録』同上)



「新帝(上皇陛下)は学習院に育ち、自由といふものについても、人生の楽しみがどのようなものかも知つていらつしやる。それなのに自分のたつた一度の生涯を犠牲にして、最も不自由な地位である皇位に就いて下さつた。

自分は公(おおやけ)の為に生まれたのだといふことをお認めいただけたのだ。それだけでも涙が出るほど有難いことではないか」(葦津珍彦氏「悲史の帝」『文藝春秋』平成元年3月臨時増刊号)



「これまで私が皇后と行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」



「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」(平成28年8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)




天皇陛下


「いいえ、自由は2年間オックスフォードでじゅうぶん堪能しましたから」


天皇陛下は昭和60年、英国オックスフォード大学留学を終えられて帰国の途次、ニューヨークに立ち寄られた時、日本のメディアがお妃候補とお見合いをされるのではないかと執拗に追い回していた中で、産経新聞の記者が「申し訳ありません。


かけがえのない自由を楽しまれておられる時間にお邪魔ばかりしておりまして」とお詫びしたのに、微笑を浮かべられて、きっぱりと上記のようにおっしゃられたという。


記者はその時の感想を後に以下のように書いている。


「たった2年間の自由。それだけでじゅうぶん堪能したといわれる殿下(天皇陛下)。この返答には今後は天皇家のご長男としてひたすら国民のことだけを考えて『天皇の道』を歩まれる『覚悟』が示されている。もう自分の人生に自由はない。25歳の青年が示したなんと壮絶な『覚悟』ではないか」(産経新聞、平成5年1月31日付)



「皇室の歴史を紐解(ひもと)くと、皇位が連綿と継承される中では、古代の壬申の乱や中世の南北朝の内乱など皇位の行方が課題となった様々な出来事がありました。そのような中で思い出されるのは、上皇陛下が以前に述べておられた、天皇は、伝統的に、国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた、というお言葉です。

このお言葉に込められた思いは、ひとり上皇陛下のみのものではなく、歴代の天皇のお考えに通じるものと思います」(令和4年2月21日、「天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見」)




敬宮(愛子内親王)殿下


「私は幼い頃から、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下を始め、皇室の皆様が、国民に寄り沿われる姿や、真摯に御公務に取り組まれるお姿を拝見しながら育ちました。そのような中で、上皇陛下が折に触れておっしゃっていて、天皇陛下にも受け継がれている、皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、私は認識しております」


「これからも長く(両陛下と)一緒に時間を過ごせますように」


(令和4年3月17日、「愛子内親王殿下ご成年をお迎えになっての記者会見」)



有難い。


この、崇高この上ない精神の系譜を、確実に次の時代に繋ぐこと。

それこそが令和の時代に生きる日本国民の最大の責務ではないか。

bottom of page