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執筆者の写真高森明勅

明治維新とフランス革命の比較から天皇・皇室を考える 


明治維新とフランス革命の比較から天皇・皇室を考える

以前、アカデミズムの主流では、「近代革命」の典型はフランス革命と見られていた。


しかし、やがて高々と掲げられた自由・平等・博愛(友愛)の理念に対し、そこで流された流血のおびただしさにも、公平に目が注がれるようになった(そもそも、「保守」思想の重要な源泉の1つはフランス革命の無軌道な“暴力”への恐怖だろう)。


そうした流れの中で、君主制を廃止しなかった為に、従来ややもすれば“中途半端な”近代革命、ないし“挫折した”近代革命などと見られがちだったわが国の明治維新に対しても、バランスのある評価がなされつつあるように見える。


ここでは、天皇・皇室の存在意義を考える1つの参考事例として、フランス革命と明治維新をめぐる近年の議論の一端を紹介しておく(三浦信孝氏・福井憲彦氏編著『フランス革命と明治維新』平成31年刊より)。



「明治維新における政治的死者は約3万人であった。他の主要な革命に比べて極めて少ない。

フランス革命の場合、内乱と対外戦争を合わせると約155万人に上った。ロシア革命や中国革命の場合は1千万人を超えるのではないだろうか」



「フランス革命での死者は内乱だけでも約35万人に上った。革命当時のフランス人口(2千7百万人)は維新当時の日本の約80%であったが、その犠牲者は日本より二桁多かったのである」



「フランス革命では革命政権とカトリック教会との間に厳しい闘争が展開した。また、知識人たちは理想の社会をめぐって様々の青写真を提出し、それらの間にも衝突が生じた。これらの条件が秩序再建に不可欠な妥協を著しく困難としたのである」



「日本の場合、19世紀にはイデオロギー対立はほとんど生じなかった。天皇が究極の権威であることは将軍家も認めるようになっていた。

…幕末に政治運動に携わった人々の主流は、政体改革のために『尊王(尊皇)』への訴えかけを共有する」(東京大学名誉教授・三谷博氏「明治維新-通説の修正から革命の世界比較へ」)



「1867年(慶応3年)に、産みの苦しみのさなかにあった日本全体の願望に棹(さお)差すかたちで、将軍と天皇が二重の権力を体現していた。将軍は朝廷と戦うことなく平和的に退位し〔大政奉還〕、天皇は新しい君主の地位を引き受けるが絶対権力は求めなかった(これは外国の君主に救援を求めて自国を裏切り、自ら退位することを拒んだルイ16世とは正反対のふるまいである)。


天皇と将軍がルイ16世のような好戦的態度を取っていたらどうなったか。答えは明らかで、内戦が起こり、フランスと同じような対外戦争につながっただろう」(パリ第1大学教授・フランス革命研究所所長・ピエール・セルナ氏「フランス独立革命-長期持続の視点からコスモポリタン的

政治形態を再考する」)



フランス革命では、君主制を打倒して近代国家への転換を果たした。これに対して、日本の場合はそれと正反対に、君主制(天皇・皇室)そのものが近代国家への転換の“ピボット(旋回軸)”の役割を果たした。


かつて、コミンテルンの「32年テーゼ」の影響から、わが国における近代革命の存在そのものを否定する奇妙な風潮があった。だが、そのような見方は勿論、とっくに否定されている。

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