皇室にとって何よりも大切なのは「前例」だという意見を耳にすることがある。
そうであれば、法規範として皇位継承資格を「男系の男子」に限定するなどという前近代に
全く前例がないことは、ムキになって否定するはずだ。ところが、どうやらそうではないらしい。
宮中に天照大神を祀る賢所の他に、皇室の代々の祖先の御霊を祀る皇霊殿、八百万の神々を祀る神殿を設け、それらを「三殿」として皇室祭祀の聖域にするという形式も、前近代には前例がない。しかし、これも否定しないようだ。
即位式において、新天皇がお昇りになる高御座(たかみくら)の隣に御帳台(みちょうだい)を据えて、そこに皇后がお昇りなることも、前近代にはなかった。しかし、これも否定しないようだ。
男性天皇の正妻以外の女性(側室)が生んだ非嫡出子や非嫡系子孫に皇位継承資格を認めないというルールも、昭和の皇室典範で採用されるまで全く前例がない。しかし、これも否定しないようだ。等々…。
こうした事例を一々挙げて行けば切りがないのでここらで止めよう。
皇室は時代の推移、社会の変化に応じて、大胆かつ積極的に「前例」を乗り越えて来られた。
そうした能動性と柔軟さがあったからこそ、長い歳月、掛け替えのない独自の役割を担いつつ、国民の信頼を失うことなく存続できた。
その事実を見逃してはならない(だから当然、先に挙げた「男系の男子」限定という、とっくに時代遅れになったどころか、非嫡出・非嫡系を排除した条件下では皇室の存続そのもののを脅〔おびや〕かす“新例”も、ちゃんと乗り越える必要がある、ということを他ならぬ皇室の方々ご自身が示唆しておられる)。