政府が国会に検討を委ねた皇族数の確保策についての有識者会議報告書には、内親王・女王がご結婚後もそのまま皇族の身分を保持される制度が提案されている(10ページ)。
しかし驚いたことに、その内親王・女王の「配偶者と子は皇族という特別の身分を保有せず、
一般国民としての権利・義務を保持し続けるものとする」(同ページ)-という制度設計になっている。
率直に言って、「国民統合の象徴」たる天皇の権威と皇室の“聖域”性を根底から覆しかねない、
悪質この上ない提案だ。
内親王・女王は天皇のお務めを全面的に代行する「摂政(せっしょう)」への就任資格を持っておられる(憲法第5条・皇室典範第17条第1項)。
一方、その配偶者やお子様が「一般国民としての権利・義務を保持し続ける」ならば、当たり前ながら憲法第3章に列挙されている自由や権利は、全て最大限に尊重されなければならない。
例えば「信教の自由」(第20条第1項)。
報告書提案の異常さが分かりやすいように敢えてリミット的事例を仮定すると、配偶者やお子様が「国民」であれば、反社会的活動で問題視されている宗教法人「世界平和統一家庭連合」(旧・世界基督教統一神霊教会、いわゆる旧統一教会)の信者だったり、その布教活動に熱心に打ち込んだりすることすら、憲法が国民に保障する権利として、否定されてはならないことになる。
畏れ多いが、天皇の代行者たる「摂政」の配偶者やお子様による旧統一教会の布教活動も、“制度上の可能性”としてはあり得るということだ。果たして、そのような可能性を孕(はら)んだ制度設計が妥当だろうか。とても妥当とは言えないはずだ。
制度を改正して、内親王・女王方がご結婚後も皇族の身分を保持し続けられるようにするのであれば、男性皇族と結婚された国民女性が皇族の身分を新しく取得されるのと同じように、内親王・女王のご結婚相手の国民男性もちゃんと「皇族」にお加わり戴くという、整合性の取れた制度にする以外にあり得ないだろう(“皇族”という位置付けならば、第3章による自由や権利の保障よりも、第1章の規範的要請の方が優先される)。
その上で、皇族同士の間にお生まれになったお子様も当然、皇族とされる。
政府・国会としてそれがどうしても嫌なら、これまで通り内親王・女王方はご結婚と共に皇族の身分を離れて戴く(皇室典範第12条)ということになる(その場合は、皇族数は減少の一途を辿り、悠仁親王殿下のご結婚が至難となってしまうのは避けられないが)。
その二者択一しかない。
この点については、政治にありがちな“足して二で割る”ような制度作りは認め難い。
追記
プレジデントオンラインで10月28日公開の拙稿に対して、社会学者で東洋大学研究助手の鈴木洋仁氏が好意的なコメントを寄せてくれた(Yahoo!10月31日)。
「重要な論考です。こうした記事が、新聞やテレビで、もっと出されるべきではないでしょうか?…(以下略)」私が伝えたかったポイントもしっかり理解して貰えており、嬉しい。