女性天皇・女系天皇を可能にする皇室典範の改正を何故、唱えるのか?
これについて奇妙な誤解(曲解?)があるらしい。
それは男女平等(近年の言い方ではジェンダー平等)という理念に基づく、と。もちろん、ジェンダー平等は大切な理念だろう。しかし、女性天皇・女系天皇を認める皇室典範の改正は、そこから直接、導かれたで提案はない。偏見なくこれまでの議論を振り返ってもらえば、誤解の余地はないはずだ。
にも拘らず、あえて誤解(曲解)を拡散しようとする企みがあるようだ。
「伝統か、ジェンダー平等か」という虚構の対立軸を敢えて設け、皇室典範改正への動きを抑え込もうとしているように見える。しかし、それは悪質な論点のすり替えだ。話の筋道は至ってシンプル。
まず、一夫一婦制のもとで皇位継承資格を明治以来の「男系男子」に限定したままでは、やがて皇位の継承も、皇室の存続自体も行き詰まるのは明らかだ(しかも近年の皇室の出生率は1.2~2)。
従って、皇位継承の安定化と皇室の存続を願うのであれば、皇位継承資格を女性・女系皇族にも認める以外にない(それは女性尊重というわが国の本来の伝統=“やまとごころ”にも合致する)。
ところが、それを阻害しているものがある。
旧時代的な(シナ男系主義・男尊女卑=“からごころ”に由来する)「女性差別」の感覚だ。ならば、皇位継承の安定化の為にはその差別意識を打ち破るしかない。
つまり、あくまでも目的は皇位継承の安定化であり、その為には女性天皇・女系天皇を認める以外に選択肢はなく、それを邪魔している「女性差別」を克服する必要がある、という順序だ。
ジェンダー平等という理念を皇位継承問題に機械的に当てはめようという考え方ではないので、念の為に。
なお、秋篠宮・同妃両殿下が英国のチャールズ新国王の戴冠式に出発されるに当たり、宮邸の玄関でお見送りされていた佳子内親王殿下と悠仁親王殿下が邸内に入られる時、自然な形で姉宮の佳子殿下が先にお入りになった場面が、印象に残った。