平安時代の興味深いエピソード。
西暦833年に、仁明天皇のご即位に伴う大嘗祭に先立って、天皇が心身をお清めになる御禊(ごけい)が行われた時のこと。
御禊は賀茂川で行われる。
そこまでお出ましの行列の中に、池田朝臣春野という貴族がいた。春野は平素から故事来歴に詳しいのを自慢していたが、他の貴族たちの装束を嘲笑って、自分の装束こそが古来の伝統に則っていると胸を張った。
それを見るとシナ唐のまんまだったという(『続日本後紀』承和5年3月乙丑〔8日〕条)。面白い話だ。
しかし現代でも、シナ由来の“男系”主義とヨーロッパのサリカ法的“男子”限定とのミックス(=明治の皇室典範で初めて採用された「男系男子」限定)を、わが国固有の伝統と思い込んでいる人が、案外いるのではないか。