今の皇室典範の“構造的欠陥”を抱えるルールを放置すれば、皇室の安定継承も皇室それ自体の存続も、望み難い。そのような危機感の表明に対して、いまだに皇位継承資格の「男系男子」限定に固執する人達の中から、驚くべき発言が飛び出しているようだ。
「過去には、天皇がご不在つまり“空位”の期間が何度もあった。だから将来、空位になる事態を過剰に恐れて、ルールの見直しを拙速に進める必要はない」という趣旨の発言らしい。
こんな発言が出て来るのは、「男系男子」限定のままでは皇位継承が不安定化することが分かっている証拠だろう。ひょっとしたら空位さえ起こり得るかも知れないという不安を抱えつつ、でも先例・前例があるから大丈夫、と自ら納得しようと努めているようにも見える。
過去の空位の実例については、例えば「天皇一覧」(橋本義彦氏、『日本史総覧 Ⅰ』〔昭和58年〕所収)や米田雄介氏監修・井筒清次氏編著『天皇史年表』(令和元年)などを手元に置いて、ご一代ずつ点検すれば、多くの事例を検出できる。
それが面倒なら、帝国学士院編『帝室制度史』第3巻(昭和14年)に収める「空位表」を見れば、一目で全事例が分かる。同表には、史料上の制約による未詳の2例(安閑天皇→宣化天皇、
後村上天皇→長慶天皇)を含めて52例が掲げられている。
初めてのご譲位とされている皇極天皇→孝徳天皇より前の皇位継承では、“例外なく”空位があったことに驚く人がいるかも知れない(その理由についてここでは立ち入らない)。
それらのうち、最も空位期間が長かったのは仲哀天皇→応神天皇の69年11カ月23日(ほぼ70年)だった。勿論、現代の歴史学の知見に照らして、初期の天皇に関わる細かな年代をそのまま史実と見る訳にはいかない。
しかも上記のケースの場合、空位は神功皇后の摂政期間に当たるので、同皇后の実在や君主としての即位の有無などを含め、丁寧な学問的検討が欠かせない。
史実性が確かな事例の中で空位期間が長かったのは、斉明天皇→天智天皇のケースが6年5カ月8日、天武天皇→持統天皇のケースは3年4カ月21日という具合。それぞれ先帝崩御の後、後継者はしばらく、正式に即位しないで天皇としての役割を務める、「称制」に当たられていた(なお、弘文天皇〔大友皇子〕は史実としては即位しておられなかったと考えられるので〔拙著『日本の10大天皇』参照〕、その場合、天智天皇→天武天皇の時に壬申の乱を挟んで1年余りの空位があったことになる)。
最も時代が降った空位の例は、孝明天皇→明治天皇の時に13日の隙間があった。しかし、それらは全て皇位継承のルールなどが初めて法定された明治の皇室典範(明治22年)よりも“前の歴史段階”での事例だ。それらを将来(!)の皇位継承の在り方を巡る議論に、そのまま先例・前例として持ち出すのは、端的に時代錯誤と言うしかない。
明治の皇室典範には以下のようにあった(第10条)。
「天皇崩ス(ず)ルトキハ皇嗣即(すなわ)チ践祚(せんそ)シ祖宗(そそう)ノ神器(じんぎ)ヲ承(う)ク」ここに「即チ」とある点が重要だ。
これによって、先帝崩御の瞬間に新しい天皇が「践祚」(今の皇室典範の用語では「即位」)され、その間には僅かな空位も法的にあり得ないことになった。
「皇嗣が皇位を継承せられる時期は、天皇崩御の同瞬間であつてそれより前でもなければ後でもない」(里見岸雄氏『天皇法の研究』昭和47年)とされている通りだ。
現在の皇室典範でも以下の通り(第4条)。
「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」これは先帝崩御の場合だが、ご譲位(退位)については「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に次の規定がある(第2条)。
「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する」どちらにも「直ちに」とある。これは一瞬の空位もあり得ないことを示す。以上によって、皇室典範(及び同特例法)による皇位継承では、原則として全く空位が生じ得ないことが分かる。にも拘らず、空位が生じるとしたら、それは前近代の事例(武烈天皇→継体天皇などの例外を除き)と違って、皇位継承資格者そのものが不在(!)である場合以外には、ほとんど想定し難い。
先頃、天皇陛下が外国ご訪問の期間中に、「衆議院の解散」という国事行為が“臨時代行”で行われ得るかどうかが、問われる場面があった。勿論、行われるべきではないという認識を、政府自身も持っていた。
外国ご訪問でさえそうだった。それが、もし天皇がご不在、空位という事態ならどうか。空位ということは、国事行為の臨時代行を他の皇族に“委任する”主体であられる天皇ご本人が、おられないことを意味する。もし皇后など委任すべき(但し皇位継承資格をお持ちでない)皇族が他におられても、ご委任そのものが行えない。よって、空位であれば国事行為は一切、行われ得なくなる。すると、どうなるか。
もし国会が開会中で審議の末に様々な法律が成立しても、天皇がご不在なら「公布」(天皇が公布文にご署名の上、侍従に御璽〔ぎょじ〕を捺〔お〕させる→それを踏まえて官報に掲載)されないので、法的効力は発生しない。
閉会中なら、国会を召集する主体がご不在の為、開会すら不可能だ(国会の召集には天皇の「詔書」が不可欠!)。立法機関としての国会は、その機能を停止する。
内閣が閣議決定で政令を定めても、天皇がご不在なら同じく公布されないので、やはり法的効力は発生しない。新しい法律と政令が一切ストップすれば、現実の推移に対して、既存の法制度の解釈と運用のやりくりだけで、何とか対処するしかない。だが、そんなやり方では当然、限界がある。
こうした事態を打開するには、根本となる憲法自体の改正が必要だ。だが、国会閉会中なら万事休す。もし開会していても、衆参3分の2以上の賛成で発議して、国民投票で過半数の支持を得ても、その憲法改正の公布も又、天皇の国事行為なので、空位の場合は法的効力を持ち得ないことが予め分かっているから、そのような政治日程が動き出すことも考えにくい。
内閣総理大臣は国会議員でなければならない。だが、衆院議員でも参院議員でも、任期が終われば国会議員でなくなる。国会議員でなくなれば当然、総理大臣を辞めなければならない。しかし、空位なら次の内閣総理大臣は任命されない。かくて内閣総理が不在となる。
一般の国務大臣も過半数は国会議員でなければならず、それらの大臣は任期の終了と共に大臣を辞めることになる。空席になった国務大臣は内閣総理大臣が任命し、天皇が認証するので、空位で内閣総理大臣が不在なら、それも出来なくなる。
もし民間人の国務大臣が何人か残っていても、閣議を主宰する総理大臣及び多数の国務大臣が欠けてしまえば、内閣の意思決定を行う閣議を開催すること自体が出来なくなる。こうして行政を担当する内閣は機能を停止する。
司法に当たる裁判所の頂点に位置するのは最高裁判所で、その長官は内閣の指名に基づいて天皇が任命される。なので、空位で内閣が機能を停止していれば、任期終了後、次の長官は任命されなくなる。最高裁の長官以外の裁判官は内閣が任命するので、内閣が機能を停止すれば新しい裁判官の任命も出来なくなる。
最高裁以外の下級裁判所の裁判官は、最高裁が指名した者の名簿によって内閣が任命するので、
内閣も最高裁も機能を停止すれば、それも出来なくなる。司法を担う裁判所も全て機能を停止する。
裁判所が機能を停止すれば、警察が機能していても、犯罪者の処罰は不可能になる(ちなみに、全国警察組織の統括責任者である警察庁長官の任免は、国務大臣を委員長とする国家公安委員会によって行われ、内閣総理大臣の承認を必要とする)。
こうして、天皇がご不在であれば、現在の憲法秩序に従う限り、立法・行政・司法という国家の統治機能は、完全に麻痺してしまう。歴史上の空位と現代における空位を同一視するのは、もし悪質なペテンでなければ愚劣の極みだ。
そもそも「空位」というのは、やがて皇位継承者が現れることを前提にした表現だ。しかし、既に皇位継承資格者がいないから天皇がご不在になった状態から、新たな法的措置が不可能なのに一体どのようにして皇位継承者を確保し、その即位を可能にするのか。
しかも、天皇の崩御又はご譲位だけを原因として、その瞬間に「皇嗣」が即位するルールのもとで、その即位をいかにして正当化できるのか。
それはもはや空位ではなく、天皇という地位自体の事実上の廃絶を意味するのではないか。
明治以来の「男系男子」限定を維持する為には空位もやむなし、という考え方は、本末転倒も甚だしく、ほとんど正気を疑うレベルと言わざるを得ない。