過去において、天皇の正式なご意思が示されることで“親王”の身分が与えられる、「親王宣下(せんげ)」という制度があった。これによって一旦、皇族の身分を離脱された方が再び皇籍に復帰した事例もある(宮内庁『皇室制度史料 皇族 三』)。
しかし、これはあくまでも「皇室典範」という皇位継承や皇族の身分に関わる包括的な法制度が整うよりも“前の”事例に過ぎない。
にも拘らず、親王宣下によって旧宮家系国民男性に皇族の身分を与えるという考え方が、一部で示されているようだ。端的に時代錯誤(!)と言う他ない。
現在、親王・内親王をはじめ皇族方の身分は、もっぱら皇室典範の規定(第2章)によって100%決定される。
畏れ多いが、個別の天皇のご意思によって、皇室典範の規定とは“別に”皇族の身分を取得したり、皇位継承資格を得たりすることは、法的に不可能だ。
皇室典範の改正は、憲法によって国会の議決によると定められている(第2条)。
ところが、もし「親王宣下」という形で個別の天皇のご意思によって皇族の身分が左右されるならば、それは事実上、皇室典範を改正するに等しく、天皇ご自身が国会の議決を超越する国政権能を行使することになるだろう。
それが憲法上、認められないことは改めて言うまでもない(第4条)。親王宣下は、明治の皇室典範(明治22年)が制定される少し前の明治19年に、小松宮彰仁(あきひと)親王の弟宮、定麿(さだまろ)王が養嗣子として親王の身分を与えられたのが最後だった(依仁〔よりひと〕親王とされ、後に東伏見宮家を創立)。
親王宣下という、一般の人が馴染みの薄い言葉を振り回しながら、時代錯誤も甚だしい言説を見かけるのは、愉快ではない。
そもそも、親王宣下という天皇ご自身のご意思に関わる制度について、旧宮家プランを正当化したいという勝手な政治的思惑によって、あれこれ指図めいた発言をすることは、不敬この上ない話だ。