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執筆者の写真高森明勅

天皇·皇族は「国民」ではないが人権制約は必要最小限で


天皇·皇族は「国民」ではないが人権制約は必要最小限で

先に(10月11日のブログで)紹介した渡辺康行·宍戸常寿·松本和彦·工藤達朗『憲法Ⅱ 総論·統治』における天皇·皇族と人権を巡る学説整理には、いささか欠落がある。


同書の記述では、天皇·皇族を「国民」とする肯定説ならば人権は皇位の世襲制と職務の特殊性による必要最小限度の制約はあっても、基本的には認められ、国民でなく「身分制の飛び地」とする否定説ならば人権は認められず、特権と義務だけがあるとする(100ページ)。


しかし、定評のある佐藤幸治『日本国憲法論』では、天皇·皇族は「国民から区別された特別な存在」として“否定説”に立ちつつ、天皇·皇族に対して許容される人権上の制約は「それが世襲の象徴天皇制を維持するうえで最小限必要なもの」にとどまるべきだ、との見解が示されている(141〜142ページ)。


先の学説整理ではうまく位置付けられていないように見えるが、この見解が最も説得力を持つのではあるまいか。


但し佐藤氏説の場合、憲法が明文上、自由及び権利を保障するのは「国民」とされているのに、国民“ではない”天皇·皇族にも人権が認められるのは何故かが問われるかも知れない。


この問いに対しては以下のように整理できるだろう。


人権が前国家的な自然権として普遍性を持つという観点が既に後退した現在、人権の根拠とされるのは「人格」=“自律的な個人”という規範的概念だ(安西文雄·巻美矢紀·宍戸常寿『憲法学読本 第2版』55ページ、分担執筆者は巻美氏)。


その「自律的個人」という点においては、天皇·皇族を例外扱いする理由は勿論、見つからない。

よって、憲法に定める「象徴」天皇の「世襲」制と絶対的に対立しない限り、天皇·皇族の人権は極力、尊重されるべきだとの結論に導かれる。

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